小中学生の留年②

昨日の橋下市長と大阪市の教育委員会が意見交換会を行い、改めてまた“留年”に関するニュースが取り沙汰されていた。

そんな報道の中で、世界的に見た義務教育課程における“留年”制度を採用している国の分布マップが出ているのを見て、その数の多さに正直驚いたと同時に自分の無知さを改めて知った。

でも逆にそんな事実を知らなかったことを普通にあたり前だと思った。

だって、教育に限らず、国ごとに歴史的背景、文化風習、価値観、教育観が違うのだから教育制度が違ってあたり前。
日本の教育事情の中で教育を行なう上では他国の実状はさして問題ではない。

もし仮に、そんな世界の情勢を基に日本にも“留年”制度を!!なんて言っているのだとしたら、それはナンセンス以外の何ものでもない。

たしかに、いろいろな分野において、世界的に主流を成しているものがグローバルスタンダードとして日本でも取り入れられているケースは多い。
分野においては、それはとても重要なことであるだろう。

すべての分野にその必要性があるのではなく、必要に応じて取り入れ、肩を並べることが重要なのではないか?

こと今回提起されている問題に関しては、グローバルスタンダードに肩を並べること自体は重要なことではない気がする。

世界の多くの国がそうしているから、それに歩調を合わせるように制度を取り入れるべきだなんてことを言うのなら、それは「おいおい!!」って言わざるをえないこと。

本当に大切なことはそんなことではなく、昨日も書いたことだがきちんとした形で“留年”の必要性のないような日本独自の教育システムを構築することではないのか?

フィンランドに代表されるような北欧の教育制度のあり方、インドに代表されるような独創的な中にも革新的な数学の指導方法など、世界の国々の中にはその国独自の素晴らしい教育制度を展開し、素晴らしい成果を上げている国がたくさんある。

そして、その国の制度がいいと思うからこそ、日本国内でもその制度に近いものを取り入れて教育をしている学校などもあるのだ。

そういった意味で、現時点でのグローバルスタンダードに肩を並べることに一生懸命になるのではなく、日本が世界のグローバルスタンダードになることを目指すようなオリジナルティーをしっかり構築し、世界から評価されるような教育国として成長するために一生懸命になるべきではないのか?

きちんとした基盤の整備を行ない、そのシステムにのっとってしっかりとして教育を行なう。
その上でやはり“留年”という制度が必要だと判断せざるをえない実状があったとしたら、そのとき初めて検討されるべきことであり、今この段階で話し合うような問題ではないはずだ。

現在のいろんな意味で弱くなってしまっている日本の子どもたちに必要なのは、いきなりの荒療治ではなく、もっと教育の本質的な部分と子どもたちを取り巻く大人たちの考え方も含めた環境の整備であるということを忘れないで欲しい。

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