小中学生の留年

冗談じゃない!!

昨日のニュースで明らかになった橋下大阪市長の小中学生の留年制度。
現段階では橋下市長が大阪市教委に向けて調査の指示を出したというレベルの話だが、政治改革の中で大鉈を振るうにしても性急かつやり過ぎだと思えて仕方ない。

その発表の中での市長の指摘している内容は以下のようなもの。

「義務教育で本当に必要なのは、きちんと目標レベルに達するまで面倒を見ること」

「留年は子供のため」

そんなのキレイごと以外の何ものでもないんじゃないの!?!?

それも、目標の学力レベルに場合は留年させるべきだという主張。
一体、小中学生のうちの何割の子どもたちを留年させる気なの?って聞きたい。

たしかに言っていることは至極全うなことだとは思う。
自分たちが小学生だった頃は、病気療養等の関係で長期に学校を休んでいた場合、授業を受けることができていない(出席できていない)ため、仕方なく留年という話を聞いたことはある。

そういったケースを想定しての留年ということなら話は別だが、ちゃんと学校に通っている子どもたちを対象にして、学力レベルを基準にして留年させるということはいかがなものか?

ただ単に、勉強が苦手でできていない子に対して“留年”というレッテルを貼るだけのことになるのではないかと思えて仕方ない。

もし、その子が毎日ちゃんと学校に通っていても、その基準とされる学力レベルに到達できなかったとしたら、そこで問題視されるべきはその子どもではなく、学校で言えば指導しきれなかった先生、家庭で言えばその子の保護者ではないのだろうか?

仮にそんな制度が本当に現場に持ち込まれたら、保護者は子どもたちを留年させないためにこれまで以上に教育費をかけて塾に通わせたり、家庭きょうしをつけたりすることになるのは目に見えている。

留年しないように公教育の現場に働きかけるのではなく、民間の教育関係のサポートを受ける方向に拍車がかかる。
それは、公教育の現場が保護者にとって信頼の場に値しないということに他ならない。

この考え方は、ある意味暴論とも言うべき発言かもしれない。
でも、当たらずとも遠からず、そういった傾向が強くなることは間違いないだろう。

実際に二十年以上この仕事をやってきて、いつも犠牲になってきているのは困っている子どもたちであり、その子たちに対する学校の対応と保護者の思いとのズレをずっと肌で感じてきたからこそ言えることなのだ。

政治や行政が人々の生活を寄り豊かなものにするためにやらなければいけない問題は山積みだろう。
もちろん、教育改革もその最優先課題の一つであることは間違いない。

でも、子どもたちにある程度一定水準の学力をつけさせるために、“留年”させるという考え方は根本的に間違っていると思う。

行政がすべきことは、“留年”させることによって学力水準を上げていくことではなく、“留年”させる必要などないように、普段の学校生活の中できちんとした学力を身に付けることができるようにするための環境を整えることではないのか?

普段の授業だけで学び、身に付けることがが難しい子たちのためにより手厚く学習を受けられる場や時間を設け、不足している子どもたちの学力の底上げをすべき後押しをすることではないのか?

決して、子どもたちのがんばる気持ちを損なわせることになるような施策を行なうことなんかじゃないはずだ!!

もっともっと、本当の意味で子どもたちに寄り添った理想の教育環境を整える努力をして欲しい。

橋下市長の政治改革に関しては、少なからず興味を持っていた。
自分たちの利権ばかりを追い求め、まともに政治をしていない政治家がほとんどの中で、それなりにまともなことを言っている数少ない政治家だと思っていたから。

直接影響を受けている大阪市や大阪府の人たちの中では賛否両論あるだろうが、そうでない人たちにとっても政界における大きな起爆剤として期待している人たちもたくさんいるだろう。

だからこそ、大阪維新の会が今、大きな風となって国政も含めて政界を揺さぶっているのだろう。

しかし、今回のこの“留年”という爆弾発言で個人的には橋下市長に対する見方が変わってしまった。
何でもかんでも変革をすればいいってものではない。
そこのところをきちんと考えずに、これまでのやり方を壊していくだけなら、それは単なる破壊者に過ぎない。

もう少し考えのある人かと思っていたのにちょっと残念な気がする…。

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