“教えるゆとり教育”って発想いいですね☆

”教えるゆとり教育”があってもいいのでは?

内容は自分たちは中学校時代に英語の授業で習った‘筆記体’。先に記したテーマも興味津々。その記事を読み進めて、大きく頷く。

「それあり!!」

って。

正直、筆記体を教えた方がいいか?教えなくてもいいか?と聞かれたら、個人的には教えた方がいいと思う。理由は2つ。

1つ目は、単語を一かたまりの言葉として認識しやすく、覚えるときにも流れで覚えられるので覚えやすい気がする。という、学習内容としての部分。

2つ目は、覚えるのにそれほど負担が増えて困るというレベルではないはずなので、知らないよりは知ってる方が絶対いい。という、知識としての部分。

実際、自分は習っていてよかったな☆と思っているので。


(※画像はWikipediaの筆記体の項目より引用)

あまり意識したことはなかったが、筆記体の指導が中学校の英語教育の学習指導要領から削除されたのは、やはり15年ぐらい前のゆとり教育の時期らしい。改めてそう聞くと、その点は素直に頷けてしまう。他の学習内容に比べると削除しやすい内容であったことは間違いないだろう。そのことは、2002年の脱ゆとり教育の流れの中においても学習内容として復活しなかったことからも明らかです。

生活場面の中で言えば、例えば、パスポートのサイン。サインを漢字表記する分には何の影響もないですが、ローマ字表記にしようとした際には、ブロック体でのサインは真似されやすいという理由で受け付けてもらい場合があります。実際、自分の経験では、以前使っていたパスポートの際にブロック体のサイン(一時期なぜかブロック体でサインするのが好きだった時期が…)で申請書類を提出したら、一度却下されかけました。最終的には、一部が筆記体っぽい癖のあるブロック体だったので「これなら、まぁいいでしょう。」みたいな感じで認めてもらいました。

そもそもサインという観点からはやはり癖が出やすく、真似されにくい(はずの…)筆記体が好まれるし、安心感もある。もちろん、ブロック体であれ、筆記体であれ、本気で偽造する人の手にかかれば大差ない話ですが…。苦笑

余談が多くなりましたが、学習指導要領に載ってないからとか、あまり使わなくなったからという理由で、教えることがムダのように言われることが多いですが、『ムダ=余裕』って考えられるぐらいになると、もっともっと学びの幅も広がるはず。

そういった意味で“教えるゆとり教育”って言葉はすごくいい♪♪って思いました。

いい意味でのゆとりは大事にしたいものですね☆

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