物を見るとき、その表面だけを見て判断する人が多い。つまり、物事の本質をきちんと見ようとしていないということ。
物事の本質をきちんと見極めるためにはいろいろな情報を見たり、聞いたりすること。そして知ることが大切だ。そういった意味では、ある程度いろんな情報に精通しておく必要がある。ただそれは、その人の興味関心によって異なったり、身近にあるかどうか(身近に詳しい人がいるかどうか)によって変わったりするので、どうしてもその範囲は狭くなりがちだが、この情報化社会の中では、本人の意思次第でなんとかなることのような気もする。
結局、本質を知ろうとするかどうかによって変わるということであり、それをせずして、物事を判断したり、評価したりするのは如何なものかと…。
もっと言えば、その物事の本質に対する価値観も人それぞれ違うもの。ある人にとっては宝物が、他の人にとっては何の価値もないものだったりすることもある。だからこそ、本質を知ることで正しい判断基準や価値基準を持つようにするべきか、そうでないのなら本質を知らないことに対して、己の判断基準や価値基準で評価や判断をしないことだ。
大人と子どもで違う価値観。
家庭ごとに異なる価値観。
個人で異なる価値観。
言うなれば、この世の中の一人ひとりがみんな違っているように、その価値観もまたみんな違うのだ。他人がいいと思っていること、他人が大切にしていること、他人がやっていることが、仮にあるルールから外れていたとしても、それがその人の価値観では大切で重要なことであれば、きちんと意味のあるものであり、尊重されるべきものであると思う。
それがわかり、理解し、認められるようになったとき、逆に、本当の意味で物事の本質を知ることができるようになれるのかもしれない。
日常の生活の中で、身の回りに起こるいろいろなことについて考える中で思ったことを、つらつらとひとり言。
かくいう自分が、まだまだそれができていないのだが…。