〇〇やめますか?それとも…

先日行われた信州大学の入学式での学長のあいさつが話題になっていましたね。

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学長から新入生たちに向けてのあいさつの中で、マスコミ等で取り上げられて話題になっていたの部分は以下のようなもの。
(※写真およびあいさつ文は朝日新聞デジタルの記事より引用)

信州大学では、自然に囲まれた緑豊かなキャンパスでの勉学と課外活動、都会の喧騒とは無縁の落ち着いた生活空間、モノやサービスなどが溢れることのない地に足の着いた社会など、知的にものごとを考え、創造的な思考を育てる環境を簡単に手に入れることができます。先輩諸氏は、このようにして、ゆっくりとした時間の流れを作っていたのです。

皆様はどうでしょうか。残念なことですが、昨今、この信州でもモノやサービスが溢れ始めました。その代表例は、携帯電話です。アニメやゲームなどいくらでも無為に時間を潰せる機会が増えています。スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません。スマホの「見慣れた世界」にいると、脳の取り込み情報は低下し、時間が速く過ぎ去ってしまいます。

「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」 スイッチを切って、本を読みましょう。友達と話をしましょう。そして、自分で考えることを習慣づけましょう。自分の持つ知識を総動員して、ものごとを根本から考え、全力で行動することが、独創性豊かな信大生を育てます。

学長の言わんとするところは、本当にスマホを利用するなということではなく、それぐらいの決意をもって学生生活にのぞみましょうというメッセージ。Selfishでも普段の授業の中でこれに似た話をよくします。

『宿題をやってこない』『覚えるべき内容を覚えてこない』といった子どもたちに、「やるべきことをきちんとやる時間が確保できないのなら、テレビやゲーム、友だちと遊ぶ時間をすべて禁止にして勉強をして‼︎」と。

ご家庭によっては、普段の生活の様子からこの提案に対して、実際にテレビやゲームが禁止もしくは時間制限がかかることもしばしば。子どもたちにとっては、きっと先生や保護者のことを“鬼”のように感じてることでしょう。(苦笑)

でも、この禁止も信州大学の学長の言葉と同じで、決して本当に禁止にすることが目的ではなく、それぐらいの決意と誰のための勉強なのかということをしっかり自覚して取り組んで欲しいという願いの裏返しに他なりません。

テレビやゲーム、友だちと遊ぶことを通して学べることや成長できること、そして何よりがんばる上でこういった楽しみの持つ力の大きさはよく知っています。逆に、そこから学ぶことの方が生きていく上での力としてはより大きいとさえ思っています。

スマホも然り。開発者の知恵と技術により産み出された便利な道具は、現代人として便利に使いこなしてこそ意味があり、その部分において使えないというのではせっかくの技術革新を無駄にしていることになると思う。

ただそれは、使いこなす(正しく使う)ということが前提であって、使われるということになると話は別だ。学長が苦言を呈していることも、Selfishで子どもたちに言っていることも同じ。それに振り回されてしまい、本来ウエイトを掛けるべきものとの比重が逆転してしまったり、依存してしまってやるべきことが疎かになってしまうようでは意味がない。便利な道具が、本人の成長を妨げたり、足を引っ張ったりしているようでは、まわりの大人としては注意喚起のメッセージを発信し続けなければいけないのだ。

やりたいことだけではなく、やらないといけないことをきちんとやる。

ルールやマナーをきちんと守り、メリハリをつけて楽しむ。

そして、身のまわりにあるものすべてを上手に自分の成長へとつなげる。

そんなことができていれば、どんなものでも決して禁止にされたり、やめたりする必要はない。そして、それがきちんとできるように成長を促すことが教育であり、大人たちが伝えるべき大切な義務。

大人はただ、子どもたちの成長を願うのみ…。

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