代表者という立場

橋下大阪市長の発言が物議をかもし、あちこちのメディアで取り沙汰されていますね。

そんな報道の中で気になる内容が…。

というのは、今回の橋下市長の発言のを受け、夏の参議院選挙で協力体制を予定していたみんなの党の渡辺代表が、今回の橋下市長の発言が党(日本維新の会)としての見解ならば今までの関係を見直していく」との意見を述べていた。

「…???」

「政治の世界ではそういったものなのか…???」

代表者というのは言葉のとおり、その組織を代表する者。
すなわち、代表者の言動はそのままその組織のものと取られてもおかしくない。
代表者とはそれだけの責任のある立場であり、だからこそ、その責任を持っての言動が必要なのではないかというのが個人的認識。

責任問題という点でいえば、ある組織の代表者だからといったレベルだけの問題ではなく、一個人としての発言や行動にももちろん責任は必要なこと。
それが代表者ともなればなおのことの話であり、そんなに軽いはずはない。

結成した後に選ばれた代表者でもそうだけど、ましてやその組織そのものを立ち上げた人間ともなると、その人を認めたもしくは何らかの利害関係の下に集まって形成された組織であり、その中でみんなが認めた代表者であるならば、その色合いはより強くなるのではないのか?

だからこそ、その組織の看板を背負っているということをきちんと認識し、その責任においての言動を行なう必要性があるはず。

民間レベルだと、代表者(社長)の不用意な言動によって信頼を失墜し、そのまま解散(倒産)を余儀なくされるなんて話も少なくはない。
代表者という立場はそれだけの重責があり、それを完全に切り離して考えることはできないのではないかと思う。

それを切り離して考えようっていう政治の世界の考え方はいかがなものか?

その言動を問題視し、組織としてきちんと審議をした結果として組織の見解ではないことを再確認し、代表者を解任した上で新たな組織として仕切り直すのであればまだ納得はいくが、個人の見解か組織としての見解かというで問題をうやむやにしてそのまま流すようでは、そのこと自体も問題だと思う。

個人的に、橋下市長の発言そのものの内容がどうなのか?ということは今回の話の争点ではない。
そこにはもちろん、個人としての考え方や歴史的認識の違い、特に頭のいい人が考えるより深い次元での内容は自分のような凡人には理解できない部分なので、そこはあえて触れないことにする。

ただ、橋下市長の置かれている立場をもって、その発言への影響力や責任を少し軽視しすぎではないのか?もしくは、そこまでわかっていてやっている(ことだと思うが…)のであれば、それを個人と組織とに分けて考えるという考え方そのものに異を唱えたい。

まだまだこの問題は沈静化しないだろうが、どうなっていくのか、今後に注目したい。

-ひとり言

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