見通し

子どもたちの支援や指導をする上で、子どもたち自身が“見通し”を持って活動できる状況を作ることやこちらがきちんとした“見通し”を持って活動することはとても重要なことであり、ある意味あたり前のこと。

これは教育に限ったことではなく、社会生活全般においてもごくあたり前のことであり、職場での新人研修レベルでも指導することであり、それができないと仕事の効率もすごく悪くなることは必然。

にもかかわらず…。

昨日から報道で問題として取り上げられている国家公務員の退職手当に関する法律改正に伴って起きている埼玉県を中心とした教育現場の混乱については「それってちょっとどうなの?」って疑問を投げかけざるをえません。

詳しいニュースはこちらから。 → 教員大量「駆け込み退職」

年度末を控えたこの時期に大量の退職者。
教育現場が混乱することは必至で、教育委員会などが臨時採用するなどして学校運営や授業に支障が出ないように対応するとのことだが、どうやったって支障が出ることは間違いないはず。

2ヵ月を残して年度途中で退職することで学校現場がどうなってしまうかがわからないわけではないだろうから、「それでもあなたは胸を張って退職できますか?」と聞きたくなるし、そんな人たちがどんな思いで今まで子どもたちと対峙してきたのか?と考えてしまう。

その半面、退職後は誰も生活を保障してくれるわけがない中で、その後の自分の生活のことを考えて少しでも多く退職手当をもらえるようにしたいと思う気持ちもわかる。

3月末で通常通り退職するのと、この1月末で退職するのとで月給約40万円の人で最終的な総収入が約70万円違うというのだから、決してお安くない額だ。

だから、退職を申し出ている教員ばかりが責められる問題ではなく、そもそもそんな法律を制定した側に大きな問題があることは明らかだ。

誰がどう考えたって、こういった混乱を避けるために年度末などの時期を考慮して法律を制定するなどの最低限の対応をすべきではないのか?
法律や条例を制定している側に人間にその程度の"見通し"を持ってやって欲しいと願ってはいけないのか?

っていうか、その程度の"見通し"すら持てない人間が、そういった重要な立場で仕事をしていること自体が一番の問題だ。

そして、その立場の人間が記事にもあるようにただ単に目先の予算だけを考えて法律や条例を制定してるとしたら、それこそそんな人間にルールを制定する資格はないと思う。

お金かモラルか?

難しい問題だとは思うが、そこはやはりモラルが優先されるべき国であり、その大切なものをきちんと子どもたちに継承していける国でありたいと願う。

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