世の中にはいろんなビジネスがあるもので、『宿題代行業』なるものもその一つ。その名の通り、学校の宿題を請け負ってくれるらしい。
以前、他の塾の先生と話をした時に、生徒が友だちにお金を払って自分の宿題を依頼していたということがあり、そこに至った経緯を含めて「Tちゃんらしいよなぁ…。」と笑ったことを思い出した。これも一種の宿題代行業には違いないが、子どもがそのお小遣いの範囲で子ども同士の依頼によって行うことと、大人がそれを生業としてやるのとでは全然話が違う。それも、業者に依頼しているのは、宿題に追われている当の本人ではなく、保護者だと言うからさらに驚きだ。
ネットで検索して出てくる情報によると、サービス内容はさまざまで、作文限定のサービスもあれば、漢字・算数ドリルから読書感想文、絵、自由研究まで教科のジャンルは問わないサービスもあり、料金もドリル1冊で3500~1万2000円、作文は400字詰め原稿用紙1枚5000~8000円と幅があって相場は一律ではないようだし、決してお安い金額ではない。はたまた、大学も卒業論文の代行が10万円〜30万円で行なわれているというから驚きだ。
大学生の卒業論文の話はさておき、子ども自身が自分のお小遣いに範囲で気軽に利用できるサービス(!?)ではないことは一目瞭然。当然そこには大人の存在が介在しないと無理な話だし、もちろん請け負う側も大人であり、ビジネスとしてやる以上、それなりの対価を求めるのもあたり前に話になる。
ここ最近の子どもたちの宿題の様子を見ていて、高校の普通科で大学進学を目指している学校の宿題はそれなりの量が課せられているが、それ以外は総じて決して宿題の量が多いとは感じない。というより、むしろ、昔に比べたら少なくなっていると思う。
その現状に反比例して、依頼する保護者、請け負う業者が増えているのは不思議な現象のような気がするが、依頼理由として一番多いのは「受験勉強に集中させたいから、受験科目に関係ない宿題を外注する」であり、続いて「クラブ活動が忙しい」などが続くというのを見るとなんとなく頷ける。
が、それは如何なものか…。
そこまでして勝ち得る受験の合格という結果や、クラブ活動での成績に本当に意味があると思っているのか?って聞いてみたところで、当の本人たちにしてみれば意味があると思ってお金を払っているのだから、まったくもって議論の余地もないだろう。
ただ、個人的には、自分に与えられているそも程度のノルマもこなせないような人間が、仮に何かで結果を出したとしても、それは本当の意味での評価には値しないと思う。でもそれがまかり通っている今の世の中。
ましてや、普段からその子の学習状況やレベルを見ている先生であれば、提出された宿題を見れば、字や内容、作品などからそれが本人の力によるものかどうかはわかるはず。かと言って、先生の方もそれを完全に疑ったり、決めつけてしまうこともできない弱腰なところも、こう言った行為に走る大人を増長させていることに加担してることになりませんか?
「ダメなものはダメ‼︎」
それをちゃんと子どもたちに教えられる大人であり、社会でありたいと思うのですが…。