学費でもテストでもなく“信頼”

世界の教育について考えるとき必ず名前が挙がってくる国がフィンランド。そのフィンランドの教育事情に関する興味深い記事が掲載されていたのでご紹介させていただきます。

①大学までの学費は無料。

②授業時間が他国に比べて少ない。

③基礎教育課程では全国共通の学力テストはない。

この3点を見ただけでも、ある意味日本とは真逆に近く、正直驚くような内容である。「それで本当に高い教育水準を築くことができるの?」って誰もが疑問に思うに違いない。

それ以上に耳が痛い思いがしたのが、フィンランドのクリスタ・キウル教育科学大臣の語った言葉の中の『すべての基礎は“信頼”である』との一言だ。その根幹には『人材こそが国の財産』であり、だから『すべての生徒に公平に教育を』との考えの下に教育を行なっているという、あたり前すぎるのに実際にはどの国でもできていない教育に対する真摯な姿勢が感じられた。

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加えて、教育者を目指す人間の資質と課せられた条件にも世界一といわれる要因の一つがあるようだ。

教師になるためには大学院で修士課程を修めなければいけない。大学の教育課程ですら人気が高く、志願者は定員の5倍にものぼるという。フィンランドにおいて教育学部を先行することは他国において医学部を専攻するのと同じレベルが要求されるし、先にも述べたように学士だけでは教師に慣れず修士課程が課せられているというのだから、必然的に教育者の質は高くなるはずだ。

そこまでしてなる教師だから、生徒からも保護者からも“信頼”され、尊敬されるのだという。そしてそんな教師という職業に若者は憧れを持つのだとも述べられている。

「じゃあ、それと同じ制度を日本に持ち込めば、日本の教育水準も上がる?」という素朴な疑問が頭を過ぎる。が、その点についてもこう述べられていた。『フィンランドの方法を他の国に移しても、うまくいくかどうかわかりません。教育とは、多くがその国や地域の固有の文化に根ざすものです。』と。

たしかにその通りだ。いくらいい制度であっても、それを受け入れ、育むことのできる土壌が育っていない地域では、成長は望めないだろう。今の日本ではきっと無理だ。

生徒や保護者が教師を“信頼”し、教師もその“信頼”に値する人間になれたとき、そこから本当の教育が始まるのではないだろうか?

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