勉強の前に勉強することの負担増への対応

教育現場においても、教材のICT化、多様化は留まるところを知らず、各業者からのDMメールや売り込みの電話がひっきりなしの状態。その傾向は以前からあったものの、コロナ禍でその状況は一気に加速し、ある意味、すごい状態に…。苦笑

どちらかと言えば、Selfishは『昔ながらの…』という感じで授業を進めることが多いのですが、子どもたち個々の実態に合わせて対応していく中で、必要があったり、その子の学びにつながる可能性があったりすると、ICT関係の教材や新しく開発された教材などを使用することもあります。

なので、別段、新しい物を取り入れていくことに対して、必要以上に否定的でもなければ、決して肯定的でもないのですが、最近の急激な変化に関しては、子どもたちはもちろんのこと、指導する側の我々としても戸惑うことが多いなぁ~と感じています。

その最たるものが、勉強するために勉強することが増えていて、それが子どもたち、指導する側、双方の一番の負担になっていることです。

簡単に言えば、便利な物は使いこなせてこそ、その真価を発揮するもの。すなわち、使いこなせるようになるために、まずはしっかりと使い方を勉強しなければいけない。最近の子どもたちは比較的、そうしたことには長けている子が多いのですが、どちらかと言えば勉強をすることが苦手・嫌いという子にとっては、それすらも一つの勉強なので決してスムーズに進まないことも多い。そのため、本来の勉強に到達する以前の勉強で、力尽きてしまう子もチラホラ。逆に子どもたちのように新しいものを取り入れていくことに長けてない世代が多い指導する側には、それ以上に大きな負担となり、本来の目的とは逸脱したところで疲れ果ててしまうことも多々。完全に本末転倒な話。

これに近い話は、学校教育の現場においても、これまで以上に現場の先生の負担は増大しており、体調的にも、精神的にもかなり疲弊してしまっている先生が多いと聞きますし、結果、授業自体の質の低下につながってしまっていることもあるなんて聞くと、これまた本末転倒な話だと思います。

もちろん、何かを学ぶためには準備も必要。そのために勉強することも、あたり前と言えばあたり前の話かもしれません。

しかし、いくら革新的であったり、効果的なツールであったとしても、それがすべての人にきれいに当てはまるというわけではないので、場合によって、それが負担増になるようなら、それを避けることもまた勉強することに対する準備の一つだと思います。

いい物が良い。

新しい物が良い。

ではなく、結局、一番大切なことは自分に合った学習方法や教材をしっかりと見つけること。

あたり前の話なんですけどねぇ…。

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