こんな時代だからこそ、実際に肌で感じ、成長につなげて欲しい。

ICTの普及などで世の中がとても便利になり、昔に比べて、世界が一回りも二回りも小さくなった感じがする。コロナ禍により、その動きは相反する方向に動き始めている。

その一つがオンラインによるつながりや情報伝達、学びや仕事が完結するといった環境設定ができるようになり、利便性が一気に向上したこと、実際に移動し、その場を肌で感じたり、体験したりすることの難しさから、そういった機会の選択肢が減るとともに、必要性の可否すら論じられるようになったこと。

たしかに、日本に居ながらにして世界各地の情報はほぼタイムリーに入ってくるし、オンラインを通して双方向でやり取りすることができること自体はとても便利なことであると同時に、それで事足りる部分があることも事実だし、自分自身のその恩恵に与っている一人です。

ただ、実際の体験や経験といったものから得られる情報や感覚は、人との関係性の中で伝わる温度感や空気感など、単に情報としてインプットできるものに加え、本当に必要だと感じる“+α”の要素を得ることができ、そこにこそ、一番大切なことが含まれているはず。

そして、その違いは、単なる情報量、情報の速さや正確さ、効率の良さ、経済的効果といったインプットという点において考えた場合、いろんな形で論じられているようにたいした差はなく、そういった意味では十分事足りるのだと思いますが、こと、そこからのアウトプットという点において考えると大きな開きがあると思っている。

日本語で言うところの『肌で感じる』がまさにそれに当たるだろう。

これは自分自身の経験からもそう思っている。

実際のその場に身を置き、そこに暮らす人々と触れあい、会話したこと、見たこと、聞いたこと、触れたこと、感じたこと、考えたこと…etc。

それらすべてが自分の大きな財産であり、それを相手に伝えるときのアウトプットの熱量はとても大きいし、相手への伝わり方も違うと感じている。それは逆に、自分が伝えられる側であっても同じように違いを感じる。

すなわち、実際に『肌で感じる』ことができる『環境』であったり、『関係性』であったりといった、便利な世の中になる以前はあたり前に存在していた体験や経験が、それに置き換わるものが出来たとは言っても、それですべてが補完できるわけではないし、そこからしか得られないものは、やはり、そこを経て初めて自分のものにできるのだということ。

いろんな意味で、便利になった今の時代だからこそ、逆にそういった体験や経験を通して成長につなげて欲しい。

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