インクルーシブ教育関連について、これまでにも何度か本ブログでも触れてきました。この言葉自体が、少しずつ社会の中に浸透していく中で、まだまだ理解されていないことも多いと感じるし、それを実践すべき教育現場においても、解釈の違いにより、様々な課題が浮き彫りになるケースも少なくない。
こんな気になるタイトルの記事を読み、考えさせられました。
息子のせいでリレー不利に…障害ある子とない子、何もかも一緒はいいこと?(※オトナンサーより引用。)
記事はこんな書き出しから始まります。
障害のある子どもと、ない子どもが共に学ぶ仕組み「インクルーシブ教育」。その目的はただ、「何もかも一緒」にすることで達成できるのでしょうか。
ここに一つの大切なキーワードが含まれています。それが『何もかも一緒』という言葉。この言葉が、時として誤解を招き、結果的に違う問題を生み出していきます。
障がいの有無に関係なく、すべての人が『何もかも一緒』にすることなんて無理な話だと思います。そこに必要なのは、「みんなが同一のことをする」ことではなく、「同一の理解の中でそれぞれのできることをがんばる」ことではないでしょうか?
この記事の中では、そのあたりのことを具体例を挙げてわかりやすく解説してくれています。
インクルーシブ教育について、またインクルーシブ教育の在り方について、たくさんの人に知ってもらったり、考えてもらったりしてもらえたらと思います。