学生時代、授業の中でクラスを2つに分けてみんなで討論したテーマ。このときは体育の評価法についての話だったが…。
体育の世界で「できる」と言えば、もちろんその運動自体を行なうことが出来るということ。「わかる」とはその運動特性をきちんと理解しているということ。
評価を大きく4段階に分けたとき、一番高い評価は「できる」=○、「わかる」=○で、一番低い評価は「できる」=×、「わかる」=×。ここまでは誰が考えてもハッキリしている答え。じゃあ、2番目と3番目の評価はどうなるの?
ある運動について、できてはいるけどその運動特性をまったく理解していない生徒とできないんだけど運動特性はきちんと理解できている生徒。どっちの生徒を評価すべきか…?
その授業の中でも賛否両論、いろんな意見が飛び交い最終的な答えは出なかったような気がする。ただ、体育という実技が主体の教科特性を考えるとやっぱりできている生徒の評価が高くなる。いくら運動特性を理解していてもできないことには評価されない。
普通に考えて、できるけどわかっていない生徒はいても、できないけどわかっている生徒はいないような気が…。いやいや、体育の世界ではそんなことはないんですよ。
身長・体重などの体格、筋力、スピード、柔軟性や平衡感覚などの要因によりたまたまできないだけ。そういう生徒はちょっとしたきっかけですぐにできるようになる。そしてわかっている生徒はそこから更なる発展も望める。ただできているだけの生徒はそこがある意味、限界点になることもある。だって「わかっていない=頭を使っていない」だから・・・。
じゃあ、主要5教科ではどうだろう?
やっぱり同じ評価になっちゃうでしょうね。「できてる=いい点数」、「できていない=悪い点数」だもん。でもそれはあくまでその時点での評価。本当に大切なのはそこから先だと思うんだけど…。
例えば、数学の公式を丸覚えにして数字を当てはめるだけで使っている。そうすれば確かに点数は取れる。でもその公式の本質をきちんと理解していないとまったく応用がきかない。ちょっと問題を捻られるとすぐにお手上げ。逆に、まず公式の本質をきちんと理解し、それから習得すればすぐに変化に対応することができる。それが本当意味での力。
じゃあ、結局「わかる」と「できる」とではどちらが大事なのか?
最終目標はもちろん「できる」と「わかる」。そういう意味ではどちらも大事。ただ、大切なことはそれを身に付けていくその過程。「できる」から入ると、「わかる」への移行がとても大変。でも「わかる」から入ると、「できる」への移行は時間の問題。必ずきちんとできるようになる。
「できる」という即効性の力を求めるのではなく、「わかる」ことにウエイトをおいてゆっくりいきましょう。長い目で見たときに、それがきっと自分を助けてくれる力になるのだから…。