学校で日々起こる様々なトラブル。
小さなものから大きなものまでたくさんあり、正直、そのすべてに教師が対応するというのは、時間的にも物理的にも不可能と言わざるを得ないのかもしれない。
でも、ある程度の内容を聞いた上で、事の重大さを判断し、対応する、もしくは対応しようとする姿勢を示すことはできるのではないか?声を発した側の子どもや保護者は、それすら感じられないとどうすればいいのか迷ってしまう…。
今、Selfishの子どもでも学校での生活に困り感を抱えている子がいて、その相談を受けつつ、どうしてあげるのがいいか担当を中心にお母さんとも相談しながら思案中。
最近、少し対応に変化が出たが、それも学校だけでの対応では理解が得られず、お母さんが教育委員会に相談して、ようやく動いた感じ。
この件に限らず、これまでにもこういったケースは多々…。
そんな時、いつも頭を過ぎる、
「どうして、担任レベルで自分のところに届いた小さな声にきちんと向き合わないんだろう…?」
って疑問。
学校の管理職や教育員会が介入する。すなわち、事が大きくなってようやくその事と向き合う。本来なら小さなことで済むはずだった問題が、放置したり、見ないふりをすることで大きな問題になり、時には取り返しのつかないことにもなりかねない。
保護者や子どもたちの声に耳を傾け、小さな芽の段階で対処する。結果的に小さな問題であればそれに越したことはないし、その時点で問題解決できれば、子どもはもちろん、保護者も先生もみんな嫌な思いをすることなく、気持ちよく、楽しい学校生活が送れるはずだ。
普通に考えたら、わかることのはずなのに、どうしてこの手の問題は後を絶たないのだろう?
それだけ現場が多忙で大変なのもわかる。だけど、子どもの問題は先送りにしたり、無いものにしたりしてはいけない問題。
のはずなのに…。