発達障がいの子どもたちの言動は彼らからみんなへの『SOS』

物事には必ず二面性がある。だから、そのものを捉える時に一方からだけ考えるにではなく、必ずもう一方からも考えてみることでまったく違った側面が見え、新しい考え方が生まれたり、より深くそのものの本質を知ることができます。

勉強においても同じ。

問題を読み、習った通りに一方からだけ考えて何かを忘れていたり、大切なことを思い出せなかったりして解けずに「わかりません!!」という子はそこまでのレベルの力。もう一方からも考えてみて、答えへの道順を見つけ出し、たどり着ける子はワンランク上のレベル。さらに言えば、その両方の考え方の違いを見つけるところまで考え、応用できる子はさらに上のレベルへと上がっていける。

二面性で物事を捉えることができるということは、いろんな意味で自分の世界が広がっていくことを意味するのだ。

完全にタイトルとは違う方向で話が進んじゃってしまってますね…。苦笑

そもそも、なんでこんな話をしてるかというと、発達障がいについての理解に関して、読んでくださっている皆さんにもっと知っていただくのにすごくわかりやすいコラムがあったので、それを読んでいただく上で大事な物事の捉え方について触れさせていただいた次第です。

ということで、そろそろ脱線している話を本題の方へ戻したいと思います。

「困らせる子」ではなく「困ってる子」

「発達障害ってどういう障害か知ってますか?」ってきかれたら、何とこたえますか?

多くの人は、「じっと座ってられない子」「パニックを起こす子」「我慢が足りない子」等々、『クラスで他の子や先生を困らせる子』というイメージなんじゃないかな?
でも「困らせる子=発達障害」というのは誤った認識なんですよ。

行動だけを表面的に見れば確かに「困らせる子」ですね。でも実際は、この子達は「困らせる子」じゃなく「困ってる子」なんです。

発達障害の子たちの不適切ととられる行動は、実は彼らの「困ってること」の表れで、SOSのサインなんですよ。助けてほしい「心の叫び」です。

結局、クラスの中での先生や他の子どもを基準に捉えるのか、当事者の子どもを基準に捉えるのかの違いだけで、これだけ解釈が異なるということです。「困らせる子」と「困っている子」では全然意味が違うし、「困っている人がいたら助けましょう。」と教えるのが道徳教育なら、困っている子たちを助けてあげることは必要なことですよね?

まずは、この『SOS』をちゃんと感じ取ってあげることが必要です。

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「困っている子」の具体例

A君は、先の見通しを持つのがとても苦手です。目で見て何が行われているのかわかるように示してあげれば、安心してクラスに参加できます。しかし先生が言葉の説明だけで授業を進めると、理解できず不安になってきます。そして不安からパニックを起こしたり、その場から逃げ出すように席を立ってしまうんです。

Bさんは、その時に必要な音と必要でない音を選ぶのが難しい聴覚の特徴を持っています。黒板にチョークで字を書く音も、先生が話す声も、隣の子たちがおしゃべりする声も、どこかのクラスで笛の練習をしている音も、すべて一斉に聞こえてしまうんです。音の種類によっては耳が突き刺さるように痛くなって耳をふさいだり、イライラしたり、その場にいられず教室を飛び出してしまう事もあります。

Cさんは、とても興味の範囲が広い子で、目にしたこと、耳に入った音などの刺激に興味や注意が移りやすい子です。教室の窓の外の運動場から大きな音が聞こえると、見に行かずにはいられません。それは決して授業中に立ち歩いてはいけないというルールを意図的に無視しようとしたり理解していないのではなく、気が付いた時にはもう興味のある物や刺激にひとりでに体が反応してしまうわけです。

A君は、「僕わからなくて不安なんだよ。わかるように説明して~!」
Bさんは、「この辛い音から私を助けて~!」
Cさんは、「授業に集中したいから、余計な刺激を減らして~!」
というSOSをそれぞれ発してるわけです。

こういった具体例は教室や校内でよく見る、よく聞く場面です。その場面を上記のように捉えられるかどうかはその人の捉え方次第。ほんの少し、味方を変えれば、これだけ解釈も変わり、大事な『SOS』に気付けるってこと。

こういった表現や具体例で教えてもらえると、すごくわかりやすいし、イメージしやすいです。少しでも多くの方にこういった内容を知っていただきたくて、ご紹介させていただきました。

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