人生の選択。
これには無数の選択肢があり、本当の意味でのたった一つの正解というものはない。
しいて言えば、無数の選択肢の中からどれを選択しようとすべてが正解であり、場合によってはすべてが間違いかもしれない。
今、一人の生徒が自分の人生の選択ですごく迷っている。
相談のような、でも決定後の報告のような連絡はあった。
その連絡に対して「そうしなさい」とも「それじゃダメだよ」とも言わなかった。
ただ、自分の思うようにすればいいということと、決めたのならしっかり前に進むようにと伝えた。
今の彼の居る場所が彼に適していないとは思わない。
ほんの少し、彼自身と彼を取り巻く周りの環境や人間関係の歯車が狂っているだけだと思っている。
でも、それが修正されないのであるならば、狂った歯車は狂ったままなので環境を変えることも大きな分岐点になるだろう。
ただ一つハッキリしていることは、自分自身が前に進むための撤退なら大いに結構だが、現状から離脱するためだけの撤退なら本人にとってプラスになるものは必然的に少なくなる。
もちろん、後者の場合でもプラスになるものはあるだろうし、それ以上に思いっきりプラスになる可能性を秘めていることもあるので、単純にそれを否定することはできない。
人生の岐路に直面して考えている問題は決して正解のない問題だし、どんな未来が待っているのかは誰にもわからないのだから…。
どんな選択であれ、自分自身でよく考え、最終の答えをきちんと自分自身で出して前に進んで欲しい。
その検討の過程の中で、自分自身の現状、自分自身を取り巻く環境、自分の進みたい方向性、そのために今自分がやらなきゃいけないこと、そしてなにより自分自身が身を置こうとしている環境が本当に自分自身を成長させてくれる場所なのかどうかということをしっかり考えることを疎かにしてはいけない。
それをせずに、まるで消去法のようにして進路を選択するのであれば、それは単なる逃げにすぎないと思う。
一次的には楽なのかもしれないが、長い人生で見ると近道のように見えて、結果的に遠回りしていることが多々あるのだ。
『若いうちの苦労は買ってでもしろ』ということわざがあるが、それだけの気持ちをうまく育ててあげることができていない今の教育現場の実状から考えると、それを望むことは難しいのだろうなぁ…。