気を付けるべきことは“サボる”ことではなく“結果が出ていない”こと

大人にとって『仕事をする(働く)』ことと子どもにとって『勉強する』ことの位置付けは同じものとして捉えられる場合が多い。

昨今、社会の変化に伴い、働き方も多様化して、在宅ワークやテレワークといった会社に出勤しない仕事の在り方も増えてきた中で、様々な意見や考え方を目や耳にすることが多くなった。そういった意見や考え方を元に『仕事をする(働く)』ことと、それに合わせて昨日の本ブログ(「勉強している『つもり』では本当の力は『つもらない(積もらない)』」)での内容に関連して『勉強する』ことの中身について少し考えてみたい。

職場に行かないと“サボる”率は上がるのか?

在宅ワークやテレワークで仕事をする場合、時間的な拘束がない分、時間的拘束を受けることの多い一般的な働き方をしている人から見ると「時間に自由がきいていいね。」という肯定的な見方と、「サボってちゃんと仕事しないんじゃないの?」という否定的な見方があると思います。特に、否定的な見方に関する意見や考え方の方がよく聞かれますが、本当にそうだと思いますか?

もちろん、そういう形で仕事をする人の仕事に対するスタンスによって変わることではありますが、単純に仕事の基準の作り方によって問題は簡単に解決するということには、みなさんすぐにお気付きのことだと思います。

『仕事をする(働く)』ことを時間基準ではなく、仕事量基準にしてしまえばいいだけのこと。

一般的に時間基準で拘束されているから、仕事量以上に時間があると仕事をしていない時間、すなわちサボってしまう時間を生み出す要因になってしまうけど、仕事量基準になると、逆に作業効率を高めてサボることなく仕事を終えることで、ゆとりある時間を生み出すことも可能だし、自分がサボってやらなければ必要以上に時間がかかってしまうことになるから、わざわざサボって自分が大変になるような方向に動く人は少ないと思います。

それを在宅ワークやテレワークで考えると、そのまま当てはめることができ、そもそもサボるという発想そのものが生まれてこない気がします。そうなると、職場に行かず(別に職場に行っていても構わないけど…)に作業することで、作業効率を上げることも十分可能だと思うので、決して一概に下がることにはつながらないはずです。

簡単な話、ご家庭の主婦の方の家事と同じだと思えばいいと思います。サボって仕事を残してしまうと、結局、自分に返ってきてしまいますからねぇ…。苦笑

勉強をサボる子どもの心理も…

先にも述べたように、子どもの『勉強する』も同じことが言えると思います。

「何時間勉強したの?」と、勉強を時間基準で捉えると、どうしてもそこにはサボるという発想が生まれるのは必然。時間数を多く見せるために、座っている時間ばかり多くなって、中身がサボっていると意味のないこと。特に、子どもたちは大人以上にその部分は強くなると思います。

だからと言って、勉強の基準を時間ではなく、学習量(例えば、ページ数や問題数など…)にしてしまえばいいという単純な話にはなりません。そうしてしまうと、ゴールに向けてより早く終わらせることに意識がいってしまうと、字の汚さ、粗さ、不正確さといったマイナスの要因がどんどん大きくなり、結果的に勉強効率がさらに下がってしまう可能性が大きいのです。

このあたりは、子ども一人ひとりの性格や学習環境によって異なるので一概なことは言えませんが、一考の必要性はあります。

仕事や勉強で一番大事な基準は…

そう考えると、一番大事なことは、考え方の基準を“サボった”とか“がんばった”といった主観的なものではなく、“結果”という客観的な評価を基準にして捉えるようにすればシンプルになるし、効率にもつながるし、いい意味でモチベーションにもつながると思います。

その場にいることややっているように見えることが大事なのではなく、きちんと中身が意味のあるものにしてちゃんと“結果”に結びつけることが本当の意味で大事なのではないでしょうか?

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