ルール

世界王者が自らのミスで陥落…。
レースをライブで見ていた人たちは「ウソ!?!?」と目を疑ったことだと思います。
授業があってライブで見れなかった人間は、メールでその事実を教えてもらい、あとからニュースで何度も流されるそのシーンを見るしかなかったのが残念でした↓↓。
その結果を受けて、今日のいろんな形の報道の中で、このルールの是非を問う論争がいろんなところで起こっています。
ご覧になった方も多いのではないでしょうか?
自分自身、10年間陸上競技で短距離をやって来た人間からみれば、正直現行のルールは選手にとって厳しすぎるもののような気がします。
実際に、今回の世界陸上に出ている選手からも批判と改正を求める声が上がっています。
いつの時代もどんな競技でも一定のルールの中で行なわれるのがあたり前。
そしてそのルールも決して普遍的なものではなく、必要に応じて変遷をしていくのもまた然り。
ルールの改正が行なわれるにはそれなりの理由があり、いろんな議論を重ねた結果改正されているものだと思います。
ルールを考える側とそのルールに則って競技をする側とでは感じることが違うのもまたあたり前だとも思います。
もちろん、その競技を観る側の人間が感じることも違います。
だから、今回のことも単純に「ボルトが失格した」という現実だけから考えると、レースのおもしろみが半減したことなども含めて、一気にルールへの批判や改正の声が上がるのも必然的なことだと思う。
「もしボルトが失格にならず走っていたらどうだったんだろう???」と考えると、選手に対して厳しすぎるように感じるルールは改正して欲しいとも思う。
でも、少し冷静になって考えるとあまり騒ぎすぎるのもまた問題のような気がする。
あらゆる競技にはルールがあり、すべての選手はそのルールの中で自分自身が磨いてきた力を競いあうのが競技の世界。
それは同じ競技で闘う選手すべてが同じルールの中で戦っているのだから、あたり前のように全選手が平等。
ルール改正が行なわれた場合、例外なくどの選手もその新しいルールの中で技術を磨き、道具を改良し、パフォーマンスを上げてきて結果を求める努力をしてきているはず。
スーパースターがルールの中で失格になったから、ルールの是非を問うというのはいかがなものか?
ボルトだけが特別厳しいルールの中で失格になったのではなく、レースを走ったすべての選手が同じルールの中で走っているのだ。
予選や準決勝で、同じように失格になってレースを走れなかった人もたくさんいる。
彼らはボルトのように世界新の可能性も世界陸上での連覇という結果を得ることは決してできない。
それでも、各国の代表として、なにより選手自身の威信をかけて、スタートラインに着いていたはず。
そういう意味では、単純に対等とは言わないが、ボルトと対等な立場の一人の競技者だ。
その彼らが失格になったからと言って、誰か一人でもルールの是非を問うたり、改正を訴えたりしたのだろうか?
答えは『否』だと思う。
もしルールについて議論するなら、そんなことも含めて考え、議論して欲しいと思う。
それが、全力でがんばっている選手たちに対する最大限の敬意ではないかと思うから…。

-ひとり言

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