名付けて『私の履歴書』。
全然深い意味はありません。
自分のおおよその履歴に関しては、本家ブログの“代表者経歴”でご紹介させていただいているので今さら?って感もありますが、その履歴に沿う形で自分自身の教育に関するその時々の想いや考え方をもうちょっと深掘りしてご紹介させてもらおうかなってことで…。
まぁ、どこまでどんな形でお伝えできるか?それ以上にいつまでそれが続くのかが自分でもよくわかりませんが、なんとなく始めてみます。(笑)
その第1回目。
大学卒業~就職編。
自分がいつからそんな夢を持っていたのは自分自身でもハッキリ覚えていないのですが、いつの頃からか「小学校の先生になる」というのが自分の夢になっていました。
当時の自分が立てていた人生設計は、倉敷市立第四福田小学校→倉敷市立福田中学校→岡山県立倉敷古城池高校→岡山大学教育学部→小学校の先生。
なぜ岡山大学だったのか?
簡単な話、当時は大学をそこしか知らなかったのだ。(笑)
結局、高校時代の恩師の薦め等もあり、岡山大学しか知らなかった人間が広島大学に進学したわけですが、この大学選択のあたりで小学校の先生から高校の先生へと目標転換。
自分が高校生を経験してみて「この年代の子どもたちへの指導をしたい。」と思ったんですよね。
それに中・高の先生を目指すと専科で自分の好きな教科だけをすれば済むってのも魅力だったかな?
ってなわけで、自分の夢を叶えるために大学の教育学部への進学を果たしました。
大学の4年間、教職に就くためにいろんな勉強したし、いろんなバイトもして経験値も高めたし、もちろん必修で教育実習にも行きました。
そんな中で自分の中に芽生えた「学校教育の現場で自分の目指す教育が本当にできるのか?」という疑問。
大学生で現場も知らず、教育に関してもまだまだひよっこ以前に卵のような状態であったにも関わらず、生意気なことを考えたものです。
でも、塾講師、家庭教師、教育実習といろんな形で教育というものに触れ、自分なりに「子どもたちにこんな教育がしたい!!」というものがおぼろげながら見えてきたこと、そして夢を見るのは若者の特権なので、とにかく自分が思うようにやりたいという気持ちの方が強くなりだんだん教職への気持ちが薄れていった。
極めつけは教育実習だったかな?
小学校での実習の時、6年生のクラスの配属だったんだけど、その時のクラス担任(担当教官)がとてもいい先生で親身になっていろんなことを教えてくださった。
結構、ぶっちゃけトークもしてくれたし。(笑)
そんな中で、子どもたちへの対応とかを褒めていただくと同時に、こんな現実的な話もしてくださった。
「お前みたいなヤツが現場に来たらいい先生になれると思う。だけど、お前みたいなタイプはなかなか教採受かんないだよなぁ。教育委員会に好かれるタイプじゃないから…。(笑)」
いやいや、先生。
教職を夢見てる学生にそんな現実を突きつけなくても…って思ったりもしたけど、自分がそんなところでウケがいい人間だとも思ってないからすごく妥当な評価だと思った。
そこは大学の附属だから、毎年毎年たくさんの実習生が行くところ。
だからあたり前の話、たくさんの実習生を見てきて、その後の結果もそれなりに知ってる先生の言葉だから真実味があるというより真実の話。
加えて苦笑いしながらこんなことも言ってました。
「実習中に『この子はあまり現場では…』と思うような、マジメで融通がきかず、テストできちんと点数を取る子が受かって現場に来るんだよ。」って…。
その先生から聞いた話がすべてではないだろうけど、教育の現場の世界をまだまだ知らない学生にとってその言葉は重かった。
自分は教育委員会の求めるタイプの人間ではない。(自分が教育委員会の立場だとしてもこんな扱いにくい人間は選ばないと思うから…。(笑))
それって、逆に自分のやりたいことややり方を現場で通すのは難しいってことじゃないかな?って。
だったら、そこに無理に身を置いてたら、自分の大好きで憧れている教育の現場や子どもたちのことを嫌いになって教育そのものから逃げ出すときが来るような気がした。
そんなことになるぐらいなら、最初から現場を目指さずに、自分の思う教育を自分の思う通りやった方がずっと大好きなまま続けられるって思った。
すごく安易な発想だし、それすら現実的にはそうではないということを後々思い知らされるのだが、それはまた先の話で…。
だから、思い切って教採を受けることすらやめて、いずれ自分自身で独立して自分の理想とする教育のできる塾を開設することを新たな目標として掲げ、人生の進路選択の舵を大きく切った。
ということで、大学卒業時の進路は一般企業へ。
それでも大学時代に勉強したことを少しでも生かし、なおかつ自分の好きな体育関係の仕事&人に教える、人と関わる仕事を…ということからスポーツインストラクターという仕事を選択した。
それもその先に新たに自分が見つけた夢を叶えるためのいろいろな準備期間と考えていたため、地元・倉敷に戻ってできる仕事先を選んだ。
ここから社会人としての人生がスタートです。
20年後。
まさかこんな生き方をしているなんて想像すらしてなかったですけどね…。(笑)
教育の表と裏、明と暗。
いろんなことを見て、聞いて、感じて、悩みながらそれでもやっぱり教育と関わり、教育から離れられない人生の幕開け。
第2回につづく…。