履歴書③『青年海外協力隊編』

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第3回目。
青年海外協力隊編。

独立して2年。
とにかく、毎日やりたいことができているということだけですごく楽しかった☆
金銭面の苦しさを除いては…。(笑)

だって、その頃は1ヶ月仕事して得た収入から支払わなければいけないものをすべて支払って残る自由になるお金が月に1000円とかってザラでしたからね。
当時で考えても、小学生の1ヶ月のお小遣いでももう少しもらってたんじゃないかな?ってぐらいのお金。

それでも、自分がやりたいことに突き進んでる何も問題がない時にはそんなこと全然気にならなかったなぁ…。

そんな状態でも一応人並みの生活ができていたのは、実家においてもらえて住むところと食べるものには困らなかったから。
両親にはいくら感謝しても感謝し尽くせないぐらい感謝している。

そんな楽しい時間も2年が過ぎた頃からだんだん難しさ顔をのぞかせてくる。
俗にいう“理想と現実”の壁だ。

自分の求める教育とは子どもたちが将来を生きていくために必要だと思う生きる力。
教科の学習は単にその一部でしかなく、ましてや成績なんてそのまた一部の学習状態を数字で示す尺度に過ぎない。

だから、それを必要以上に重要視しない考え方の人間にとって「学歴編重」「受験重視」といった学習に対する考え方は相反するものであり、受け入れがたいもの。
しかし、公教育の学校現場ではなく、民間の機関として月謝という対価をもらっている以上、それに対する結果を求められるのはあたり前のことであり、そこにズレが生じるのも必然。

日本における教育の実状とそれを受けての保護者の考えや求めるもの。
自分自身の教育の対する思いがまたここで自分を苦しめることに…。

そんな思いでこのまま進んでいいものなのか?進んでいけるのか?と思い悩み、いろんな壁にぶつかった。

そんな中で出した一つの答えが、日本を離れ、日本国内とは違う環境に身を置いて、これまでとは全く違った視野でもう一度教育というものを考えてみたいと思い、そのチャンスを求めて青年海外協力隊に応募した。

平成8年の秋。
独立してから3年目のことだった。

岡山県内での一次試験、東京に行っての二次試験の結果、カンボジアへの2年間の派遣が決まった。
仕事の半分は現地の小・中学校を巡回しながら体育の直接指導、そしてもう半分はカンボジア国内で将来教育者を目指している学生への指導。

何が見つかるかわからなし、もしかしたらこれまで以上に教育の嫌な面、厳しい面を見てさらに壁にぶつかるかもしれない。
それすらわからないけど、現状を打破するためにはこれまでと全く違う環境に飛び込んで手探りで何かをつかみ取るしかない。

そんな思いの中での新たな挑戦になるはずだった…。

でも、そんな思いと自分自身を取り巻く環境とのズレが行く手を阻む。
結局、タイミングの悪さも手伝って、環境をきちんと整えることができなかったため、せっかく手に入れた挑戦のチャンスを辞退という形で手離さなければならなかった。

すべては自分の力不足であり、自分自身の問題。
それを認め、自分自身を無理矢理納得させる形で日本残留決定。

そして新たに生まれた目標。

「いつかは必ず海外へ」

この翌年の冬、幼馴染みの友人が住んでいたことがきっかけで、タイ・バンコクの地に初めて降り立つ。
その後、こんなに深い関わりを持つことになることなどそのときは思いもせず…。

でもそれはまだもうしばらく後のお話で。

第4回につづく…。

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