明確な基準なんかあるわけがない中で、その判断に振り回されてどんどん弱腰になっている教育現場と必要以上に強気に出ていく保護者サイド。
その結果、それはまるで綱引きのようにセンターがどんどん一方に引き寄せられ、さらに線引きが不明瞭になっている気がする。
大阪市内の小学校で起きた生徒の問題行動に対する校長先生の対応に対して大阪市教育委員会の下した処分と、その後、当事者である校長先生が依願退職するという結果を受けて、その判断を疑問視する声がたくさん上がっているようだ。
一連のあらましと記事の内容は、以下のようなものだった。
ある男子児童が自分の靴を隠されたことに腹を立て、学校にナイフを持ちこみ、靴を隠したとされる別の児童(実際、本当に隠した児童はわかっておらず、勘違いの可能性あり)と対峙する形でナイフを向けて脅した。
同じクラスの別の児童が担任に報告したが、その担任からは指導なし。
そこでその児童が校長先生に報告したところ、校長先生がナイフを持っていた児童を呼び出し、ナイフの所持を確認して没収。
その件とそれまでの経緯から、校長先生はナイフを持っていた児童と同じクラスの仲良しグループ計7人を別室に呼び、1人ずつ頭を平手で叩いた。
というもの。
別件から大阪市教育委員会にこのことが伝わり、話を聞いた担当者が校長先生に確認したところ、その事実を認めたため、教育委員会で協議した結果、校長先生は戒告処分、それを受けて校長先生は管理職である自分が手を挙げたことを反省して自ら退職したというのだ。(処分が不服だったわけではないとしている。)
この一連の内容を受けて、どう思いますか?
僕自身、教育者のはしくれとして教育の一端を担っている立場から言わせてもらえば、全面的に体罰すべてが悪いなんて思ってません。
というか、時と場合によっては十分"あり"だと思っています。
それは、決して体罰を推進しているわけではなく、きちんとした人間関係(子どもと先生、保護者と先生)が成り立った上である程度必要な場合もあるのではないかという意味です。
年代的には学校の先生にもしっかり叩かれながら教育してもらいました。
ただ、それが体罰だったなんて一度も思ったこと無いし、叩かれたことに感謝まではしてないものの、その時々の場面ではあたり前のことだと思っていました。
もちろん、両親も納得していたし、個人懇談の時など親から学校の先生に「叩いていただいて(きちんと教育してもらってという意味で…)ありがとうございました!!」ってお礼をいうぐらいの勢いでしたからね。(笑)
そんな年代だから、基本的にそれほど抵抗を感じないということもあるんでしょうけど、単純に『叩く=体罰』なんて図式にはやはり納得できない部分もあります。
例えば、学校の先生のそんな対応に対してクレームをつけるぐらいなら、子どもが間違っていることをしたときに親がその責任においてきちんと教育し、必要に応じて親が手をあげることによって子ども達にきちんと悪いこととして教育するぐらいのことはして欲しい。
たいてい、そこをきちんとしていない親や自分の子どもが本当にわかっていない親に限って、何かあるとすぐに問題視して体罰だ何だと騒ぎ出す。
騒がれたくない現場側はどんどん行動を自粛し、それをわかった子どもたちはどんどん悪い方に増長し、結果的に教育現場は手がつけられない状態になっていく。
まるでデフレスパイラルのような悪循環の中で、すでに収拾がつかないよう状態になってしまっている気がする。
今の教育現場は、完全に末期症状以外のなにものでもないですね…。
今回の大阪市教育委員会の処分は、どんないいわけや自分たちの正当性を声高に言ってみたところで、弱腰行政の典型としか思えない。
そして、校長先生もそう。
叩くという行動自体が褒められたことではないとしても、それが子どもたちの教育に必要なことであり、決して間違っていないと信じているのなら堂々としていればいいし、処分に対して不服の申し立てをしてもいいと思う。
それを依願退職という形で幕引きしてしまうと、見方によっては潔いと思われるかもしれないが、違う見方をすれば自分が間違っていたと認めたことになるし、さっさと逃げたことになるのではないか?
もし、「これは教育として必要なことであり、自分は間違っていない!!」という信念無くしてやった行動であるのなら致し方ないことであり、逆に言えばそんな信念もないようなら子どもたちに手をあげるべきではないと言いたい。
また、それは教育を行なう側だけの問題ではなく、教育を受ける側の問題でもあるということを忘れてはならない。
お互いがお互いを尊敬できず、信頼関係が結べていないからこそ起こるべくして起こっている問題だと思えて仕方ない。
「じゃあ、お前はできているのか?」
と問われると、正直少し言葉に詰まるかもしれない。
それは、こちらと子どもたちや保護者との間に温度差が無いとは絶対的には言い切れないからだ。
でも、絶対的な信念と最後の責任を自分自身で負う覚悟は確実に持っている。
それだけは自信を持って言える。
だから、いつでも強気で子どもたちと向かい合って、楽しみながら共に学び合っていけているのだとも思っている。
記事を読んで、思ったことを思ったままにつらつら書いちゃいました。
ちょっと話の方向もズレちゃったかな…。(苦笑)
結局、どこまでが教育でどこからが体罰なのか?
それは見る人、聞く人、受ける人、行なう人、それぞれの立場や感じ方によって違ってくるため、明確な線引きができないものに線引きをしようとするからおかしなことになるんだと思う。
時と場合によっては体罰は必要。
ただし、単なる暴力は絶対にダメ!!
親は親の立場で、先生は先生の立場で、子どもたちの成長と未来のために全力を注いでいけば、すべてはきっといい方向に進むんだと思いますよ。