背中

今日、必要書類を提出しに市役所に行ったときの出来事。

庁舎に近い駐車場には2ヶ所の障がい者及び妊婦用の駐車場が用意されています。
その駐車場の区画内で、通常の駐車スペースは満車、障がい者及び妊婦用の2ヶ所のうちの1ヶ所だけが空いている状態のところに1台の車が入ってきました。

助手席に小学校低学年ぐらいの男の子を乗せ、お母さんであろう女性が運転していました。

「この状況でどうするのかな?」と思いながら横目に見ていると、助手席の男の子が「あそこがあいているよ。」という感じでその1ヶ所だけ空いている駐車スペースを指差しました。

すると、運転していた女性は躊躇することなく、ごく自然にそこに駐車しました。

市役所の駐車場は、そこの駐車場から道を挟んだ反対側にはたくさんの駐車スペースがある大きな駐車場があります。
そしてもちろん、そのときには駐車場はたくさん空いていました。

にもかかわらず…。

このお母さんの行動を見た子どもはきっと、それはやってもいい行動(障がい者用スペースに健常者が駐車すること)だと認識してしまったはず。

もしかしたら、これがいつものことで、この子の中ではもうすでにあたり前になってしまっているのかもしれません。

この場面で、もし子どもが「ここが空いてるよ。」と言ったとしたら、「ここは誰でも停めていいところではないんだよ。」とちゃんと子どもに教えて欲しい。

仮に、この女性がお母さんではなかったとしても、一人の大人としてちゃんと子どもに伝えるべきこと。

良いことも悪いことも、子どもたちは親の背中や大人の背中を見て学びます。

まだ、間違っていることを間違っていると正しく判断できない子どもたちにとって、それを教えてあげることは子どもたちに関わる親を含めた大人の義務。
子どもたちを教育するという観点で言えば、絶対に必要なことであり、日常における一つひとつの学びが子どもたちを大きく成長させる。

そして、そう考えると子どもたちにとって大人はみんな先生であり、一番近い先生は最も身近にいる親ということ。

「親の背中を見て子どもは育つ。」と昔からよく言われます。

親の背中だけでなく、まわりにいる大人の背中を子どもたちはいつも見ています。

子どもたちに背中で正しいことが伝えられる大人がたくさんいれば、子どもたちはまっすぐ育ってくれるだろうし、この日本という国がきっとステキな国になるはず。

そんなことを考えた、日常の一コマでした。

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