子どもたちは成長の過程の中で、様々な体験をすることでそこから先の人生が大きく変わることもあるだろう。
できるだけいろんな体験をした方がいいことは間違いないと思うが、じゃあ、一体どんな体験を積むことが子どもたちの成長につながるのだろう?
今日、学校で他の先生とある生徒のことについて話をした。
どちらかと言えば引っ込み思案の性格の子なので、しっかりと“成功”体験を積ませてあげることで、少しでも自信を持って社会に巣立って欲しいと…。
そのためにはどうやってどんな“成功”体験を積ませてあげられるか?
それが教師の考えるべきことであり、そこへ上手に導いてあげることが重要なこと。
“成功”体験は子どもたちに自信を与え、大きく成長させてくれる可能性を秘めている。
夜、家庭教師先でお母さんと子どものことについて話をした。
中学2年生の男の子。
1年半後には高校受験という、人生初とも言うべき、大きな関門が待っている。
でも、今の彼にその意識はまったく皆無で、勉強の‘べ’の字すら頭にはないご様子。
今のままでは、高校受験でかなりの苦労をすることは目に見ている。
そんな彼に、お母さんは高校受験でうまくいかず、“失敗”体験をすることで何かに気付いてくれたらそれはそれでもいいと思っていると…。
“失敗”体験は子どもたちに気付きを与え、大きく変わらせてくれる可能性を秘めている。
どちらの考え方も決して間違っていない。
どちらかの考えが正しいという答えもない。
でも、どちらかの体験を与えてあげるとしたら、一体どっちの体験を積ませてあげた方がいいのだろう?
その答えもきっとない。
結局、その子の性格や考え方、それまでの生い立ちやまわりの環境などいろんな要素を加味して考え、そのとき一番いいと思う体験を積ませてあげることが必要なのだろう。
しかし、一度の“失敗”体験でそこからずっと崩れてしまってなかなか立ち直ることができない子どももいる。
一度の“成功”体験で生まれた自信が過信に変わり、がんばることの意味を勘違いしてしまう子どももいる。
そう考えると、どちらも正しくて、どちらも間違っているということになる。
どちらか一歩だけということではなく、ケース・バイ・ケースでいろんな体験を積むことが、本当の意味で大切なことなんだ。
そして、そんな子どもたちを見守る大人がすべきことは、そのどちらか、もしくは両方でもいい、その子に今必要だと思われる体験を考えて与えてあげることだけではなく、そういった体験を与えた後をきちんと見守ることではないだろうか?
そのとき、もし子どもが間違ってしまったり揺れてしまったりしたら、そっと寄り添い、支え、再び一緒に歩んであげることが一番大切なことなのではないだろうか?
一日の中で、まったく真逆の話をする機会があったことで、そんなことを考えた。
結局、何らかの答えに辿り着けたわけではなく、頭の中がうまく整理できずにグチャグチャになっただけのような気もするが、たまにこうやって考えるという行為自体が大切なのだろう。
やっぱり教育って、深くてムズカシイ…。