子どもたちと一緒に勉強していてすごく感じること。
問題を解いたり、答え合わせをした後に間違いを見直したりするときに、
『なぜ?どうして??』
と疑問を持ちながら勉強に取り組む子がとても少ない。
特に、「勉強がわからない…」「勉強が嫌い…」っていう子ほどその傾向が強い気がする。
疑問は学びへの大切な入り口。
そして、更なる発展や応用への大事な道標。
それを大事にしないということは、学びに関しての一番大切なことを抜きにして学ぼうとしているということだから、決していい形での学びに結びつかないだろうし、大きな成長も望めない…。
自分が間違えて問題をそのままにしておくのと、なぜ間違えたのかという理由を探し、その間違いをきちんと修正して自分で解けるようにするのとしないとでは基礎的な力に大きな差が生まれる。
例えば、数学の問題を解いていて、「どうしてここでこの計算になるんだろう?」ってその意味を考えることで理解はどんどん深まる。
そして、その理解の深まりは応用力へとつながり、知らず知らずのうちに考える幅をどんどん広げてくれている。
なのに、それをしようとしない(考えようとしない)子がすごく多い。
とても残念で悲しいこと…。
その原因として、まわりの大人の関わり方も大きく影響していると思う。
一つは、子どもたちに疑問を抱かせるような導き方をせず、すぐに答えを与えてしまうような関わり方をしてしまっていることが非常に多いこと。
つまり、子どもたちの頭の代わりを大人がしてしまっているということ。
もう一つは、ちゃんと疑問を持って投げかけた子どもに真剣に向き合い、付き合って、ゆっくり最後まで一緒に考えてあげていないこと。
それは、子どもたちに「どうせ聞いても無駄だし…」という諦めにも似た感情を植え付けてしまっているということ。
忙しくて時間に余裕のない生活を強いられている現代社会の中で、子どもたちと大人たちの関係が希薄になってしまう中で起こってしまっている悲しい現実…。
まわりの大人の関わり方一つで、子どもたちをきっと大きく変えてあげられることができるはず。
『なぜ?どうして??』
と考えることから始まる発見や成長を、子どもたちにはたくさんして欲しいと願っています☆
問題を解いたり、答え合わせをした後に間違いを見直したりするときに、
『なぜ?どうして??』
と疑問を持ちながら勉強に取り組む子がとても少ない。
特に、「勉強がわからない…」「勉強が嫌い…」っていう子ほどその傾向が強い気がする。
疑問は学びへの大切な入り口。
そして、更なる発展や応用への大事な道標。
それを大事にしないということは、学びに関しての一番大切なことを抜きにして学ぼうとしているということだから、決していい形での学びに結びつかないだろうし、大きな成長も望めない…。
自分が間違えて問題をそのままにしておくのと、なぜ間違えたのかという理由を探し、その間違いをきちんと修正して自分で解けるようにするのとしないとでは基礎的な力に大きな差が生まれる。
例えば、数学の問題を解いていて、「どうしてここでこの計算になるんだろう?」ってその意味を考えることで理解はどんどん深まる。
そして、その理解の深まりは応用力へとつながり、知らず知らずのうちに考える幅をどんどん広げてくれている。
なのに、それをしようとしない(考えようとしない)子がすごく多い。
とても残念で悲しいこと…。
その原因として、まわりの大人の関わり方も大きく影響していると思う。
一つは、子どもたちに疑問を抱かせるような導き方をせず、すぐに答えを与えてしまうような関わり方をしてしまっていることが非常に多いこと。
つまり、子どもたちの頭の代わりを大人がしてしまっているということ。
もう一つは、ちゃんと疑問を持って投げかけた子どもに真剣に向き合い、付き合って、ゆっくり最後まで一緒に考えてあげていないこと。
それは、子どもたちに「どうせ聞いても無駄だし…」という諦めにも似た感情を植え付けてしまっているということ。
忙しくて時間に余裕のない生活を強いられている現代社会の中で、子どもたちと大人たちの関係が希薄になってしまう中で起こってしまっている悲しい現実…。
まわりの大人の関わり方一つで、子どもたちをきっと大きく変えてあげられることができるはず。
『なぜ?どうして??』
と考えることから始まる発見や成長を、子どもたちにはたくさんして欲しいと願っています☆