子どもたちと一緒に勉強をしている中でよく感じることは、問題と対峙した際に必要だと感じているのが、いかにして“正解”になるかということを考えていることが多いということ。解くべき問題が“正解”すなわち『〇』になることで、こなさなければいけない勉強が終わりになるという目先のゴールを求めるからだ。
もちろん、そんな気持ちもわからないではない。遊びたい盛りの子どもたちにとって、友だちと遊んだり、ゲームをしたり、テレビを見たりしたいという欲求は至極当然のことであり、そのための立ちはだかるべき壁である宿題ややるべき勉強をする際に必要なのは終わったという事実であり、できるようになったという事実ではない。
でも、その考え方や取り組み方が、結果的には以降の自分の時間をより有効に使うべきチャンスを失わせてしまっていることに気付いて欲しい。
あたり前の話であるが、“正解”することよりも、仮に“正解”しなかったとしてもそこまでの過程を考え、理解しようとすることの方が何倍も有効な学びであり、自分の成長、ひいては後により多くの時間を生み出すための最善の策であることを知って欲しいのだ。
“正解”を求める子は、質問と称して答えが『〇』になるための近道ばかり要求する。それは、他人の頭を使って自分のやるべき課題を作業としてこなしているだけで、自分のためになる勉強をしているわけではない。答えを見て写していることと大差ない。
だからこそ、勉強そのものも、量より質へと転換し、“正解”に辿り着いたという結果よりもその過程を大切にして欲しい。
ただ、このことをいくら話してみたところで、本当の意味で理解し、実践できる子はなかなかいないので、まわりの大人がうまく誘導する必要があり、それこそが重要なサポート(=支援)だ。
願うは常に、一人ひとりの子どもたちの本当の学びであり、生きる力を身につけてくれること。
そのためには、いくらでも怖い先生になりますよ♪♪笑