『障害者差別解消法』で本当に差別は解消されるのか?

2013年6月に成立し、2016年4月から施行される『障害者差別解消法』。たくさんの人たちの努力や願いが実る形で成立したこの法律で、本当に差別が解消されるのか?

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いろいろなところで取り上げられている具体例を参考にしながら、特に学校教育の現場での対応について少し考えてみたい。(※医療情報サイト・アイメディより)

【学校側が行なう合理的配慮の具体例】
●人前での発表が困難な児童生徒等に対し、代替措置としてレポートを課したり、発表を録画したもので学習評価を行ったりすること。
●こだわりのある児童生徒等のために、話し合いや発表などの場面において、意思を伝えることに時間を要する場合があることを考慮して、時間を十分に確保したり個別に対応したりすること。

【「不当な差別的取扱い」となる具体例】
●窓口対応を拒否し、又は対応の順序を劣後させる、または順番を遅らせる
●(施設やそれらの)サービスの利用をさせない
●学校への入学の出願の受理、受験、入学などを拒む
●試験等において合理的配慮の提供を受けたことを理由に、当該試験等の結果を学習評価の対象から除外する。評価において差を付けたりすること

さすが有識者も含めて検討され、成立している法律です。法律の中身(すべてを読んで確認したわけではないですが…。苦笑)としては理想的な形が盛り込まれているのだと思います。

でも、本当に大切なことは、それが形骸化されることなく機能することと、その裏に隠れてしまう落とし穴を見逃してしまわないようにすることです。

例えば、この法律は国公立の学校には義務付けられているのに対して、私立の学校や民間施設には“努力”義務とされていること。大学においては、受け入れの姿勢や方針を明確に示した上で、入学試験における配慮を行なうことや入学後の支援内容や支援体制などを、ホームページ等で“可能な限り”具体的に明示するようになっているそうです。

もちろん、ガチガチに義務付けられても規模が小さいところなどではできることとできないことが必然的に生じてしまうのですが、“努力”とか“可能な限り”いう言葉ほど曖昧なものはない気がするし、その言葉で本質的な部分を誤魔化されてしまったら、本当の意味での差別解消にはなり得ないのではないでしょうか?

具体的に言えば、受験を希望した場合、出願の受理や受験そのものが認められることと、障がい等の実態に配慮した上で合格・入学が認められることとは別問題。法律に基づいて受験機会は与えたが、障がいを理由(それが理由だとは学校側は絶対に言わないが…)に不合格という結果を出してしまえば、この法律上は何の問題もないが、差別の解消にもなっていない。

“努力”しました。」とか、「“可能な限り”の対応をしました。」といったもっともらしい理由をつけたら回避できるような法律で本当に大丈夫なの?と心配するところ。

特に教育について言えば、合理的な配慮や支援によって本人の能力と希望に沿った教育を等しく受けられる環境が得られることが最低限のラインとして認められるようになって欲しい。そうなって初めて、本当の意味で差別解消できていると言って欲しい。

障がいを理由に、希望する教育環境すら得られないたくさんの子どもたちを見てきた人間として切に願う…。

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