「どんな日でもいい日だと言えますか」
朝、カーテンを開けたら、どんよりと重く雲がかかって雨がシトシト。肌寒く、出かけるのがおっくうになるような天気の日。しかも午後の予定はハローワーク。こんな天気じゃ自転車が使えないから歩いていかなきゃ。明日はカードの支払いがあるから、お金の算段もしなくては。あら?ストキングが伝線している!
こんな日に「日々是好日」なんて言ってられますか?
しかし「日々是好日」は、どんな日でも毎日は新鮮で最高にいい日だという意味です。
ムカつく日も悲しい日も、雨の日も風の日も、その時のその感情や状態を大いに味わって過ごせば、かけがえのない日になる。新鮮な気持ちで目覚めたら、雨も楽しもう、寒さも味わおう、ハローワークも出逢いの場だ、お金の算段も当てがあるだで幸せだ。
ほのぼのとして幸せそうな字面ですが、なかなか難問です。
『日々是好日』=「にちにちこれこうじつ」と読むのだそうです。
生きていると、まったく同じ一日と言うのは存在しないのはよくわかっていますが、週単位で動いている教室での子どもたちと一緒に過ごす日々もいろんなことがあり過ぎて…。
そんな一日の授業を終えてブログを書こうとパソコンの前に座ったときに、フッと頭に浮かんできたのがこの言葉。すぐさま、こんな時にいつも開いている禅語の本を開き、よくよく考えてみたら、大好きな相田みつをさんの作品の中にもこの言葉があることを思い出して作品を探して眺め、少しだけ自分と向き合う時間を過ごしています。
いろんなことが起こる一日ということは、何もない一日に対していろんな経験をさせてもらっているということ。
こちらの思いもよらない子どもたちの言動は、こちらがたくさんのことを学ばせてもらっているということ。
そしてなにより、いつもと違う一日を過ごせたということは、今日も一日楽しく過ごせたということの証。
そんな風に悟りの境地まで達することができたら、もっと落ち着いて子どもたちと向き合うことができるはずなんですが、その境地の入り口にすら立てない人間は、貴重な一日一日を、まだまだ一生の中の大事な一日とまでは思えません。でも、なにはともあれ“楽しむ”ということだけは忘れないように毎日を過ごすように心掛けています。
子どもたちが起こしてくれるトラブルも笑い飛ばし、そんなことすら大きく包み込めるような人間(先生)になりたいものですね☆