ボーダーライン



島国である日本で生まれ育った人間なので、国境はすべて海の上。

今までは、国境を越えて外国に行くには必ず飛行機や船などの乗り物を利用するのが当たり前だったのが…。

生まれて初めて歩いて国境を越えたのが、このタイとカンボジアの国境でした。1枚目の写真の手前側がタイ、写真中央に写っているゲートが国境で、そこから向こうがカンボジア。

自分の足で国境を超えたときには、さすがに感動を覚えました。じっくり見てみましたが、実際そこには『国境』の線(ボーダーライン)はありませんでした。(苦笑)

国境のゲートのアップの写真が2枚目の写真です。カンボジアという国はアンコールの遺跡を国民が誇りに思っていて、国旗にアンコールワットの遺跡の絵が描かれていることは知っていましたが、まさかゲートまでそれを模して造ってあるとは思っていませんでした。そこまで、国民が誇れるものがあるっていいなぁって思いました。日本にはないですよねぇ…。
その感動とは裏腹にこの場所へ行くといつも物悲しい気持ちになりました。

さすがに国境だけあって人や物の往来が激しいのですが、その道端にはたくさんの物乞いの姿が…。

地雷で手足を失っている人や、痩せこけて骨と皮だけになっているような人、そしてたくさんの子供たち…。

そこを歩いていると、子供たちがたくさん寄って来て手を差し出してお金をねだるんです。こうやって生きている人や子供たちが世界にはまだまだたくさんいるのが現実なんですよね…。

こんなところを目の当たりにして、日本という国がいかに幸せなのか、そしてその国に生まれた日本人がいかに満たされた国民なのかということを再確認しました。

言葉、文化風習、宗教…。同じ人間でありながら人種や民族が違うので完全にボーダーレスにしてしまうことは不可能だと思う。でも国家という単位ごとの形式上のボーダーラインはあったとしても、同じ人類として気持ちの上でのボーダーラインをなくすことはできないのだろうか?そうすれば、戦争や国ごとのいざこざもなくなるし、不幸な子供たちを減らすことができるはずなのに…。

それは建前論で、きれいごとだと思う。現実にそんな世の中が実現することはないだろう。だったらせめて自分のできる範囲の中で何かできることをやりたい。じゃあ、一体何ができるだろうか?

お金や物資の支援だけが、途上国に対しての教育援助ではない。どちらかと言えば、それらは悪しき援助なのかもしれない。本当にその国の発展や子供たちのことを考えるなら、お金や物資以上に自分たち自身で自立できる力を身に付けてあげるべきであろう。でもそれは最終目標で、やはりまずはお金や物資で、勉強ができる環境を整えてあげることが先決なのだろう。

そしてそれと同時に指導者の養成が必要なのだ。それらがすべて整ったとき、初めてその国の人たちが自分たちの力で子供たちを教育し、その子供たちが成長してその国を担っていく。そしてその育みがその国の未来へとつながっていく……。

Selfishの取り組みの一つとして、子供たちと一緒に海外の貧しい国の子供たちのための教育援助を目指していきたいと思っています。自分たちに何ができるのかということを自分たち自身で考えて実践していく。

この思いが実現できるようにがんばっていこう!!

-代表者ブログ, タイの思い出

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