滅却心頭火自涼

「逃げなければ、火の中でさえ涼しい」

心が積極的になって無心に徹すると、火の中でさえ涼しく感じるという意味です。夢中でものごとに没頭すると、暑さ寒さを忘れる、そんな経験ありませんか?
炎天下で人と待ち合わせをして相手が遅れてきたら、暑くて暑くてだんだん腹が立ってくる。しかし、同じ炎天下で、こんがり小麦色の健康的な肌に焼こうと思ったら、太陽の暑さが喜びに変わる。苦悩とは、こちらがどういう心で相対するかで随分と違うものになるのです。
苦悩から逃げると、苦悩はいつまで苦悩のままで存在します。
だから、苦しいことからはむしろ逃げないで立ち向かう。集中力と勇気が必要ですが、いつまでも悩んでいるよりそちらの方がラクですよ。
さぁ、クルッと後を振り向いて、追っ手と対面。

『滅却心頭火自涼』=「しんとうめきゃくすればひもおのずからすずし」と読むのだそうです。
久しぶりにこの禅の本を開いてみました。
全部読んでいるんだけど、改めて読み直してみると、同じ部分を読んでいても感じることが違う。結局、読んでいるそのときそのときの自分の気持ちや心によってとらえ方が全然違うってことですよね。
そういう意味では、何度読み返してみても勉強になる1冊です。
この言葉は知っている人がほとんどですよね。自分ももちろん知っていました。
でも、この言葉をこういう風に解釈はしてなかったです。
自分の今までの解釈は、集中していれば火でさえも涼しく感じる。すなわち、集中力が大切なんだ!!という意味にとらえていました。
もちろん、この解釈自体は決して間違っているわけではないし、本来の意味はそこにあると思います。
でも、今回改めて読み直していて、この本のように、もう一歩おし進めて“立ち向かう”というところまでの意味でとらえてなかったのでとても勉強になったというか、考えさせられました。
苦しいことや嫌なことからは逃げ出したくなるのが人間の心情。
でもたしかに逃げたからといって、そのことから完全に開放されるわけではなく、ほんとに逃げてるだけ。
まわりまわって、いつかまた自分のところに戻ってくる。
だったらきちんと向き合って、そのことと対峙し、解決してしまえば本当の意味でその苦悩からは開放される。
ようは自分の心のもっていき方一つで、何事も全然違う結果を導き出すことが出来るってことですよね。
今の自分自身にも、いろいろ考えることや悩むことがあります。
逃げずに立ち向かう勇気を持って、解決に向けてがんばってみようかな。

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