昨日配信の朝日新聞DIGITALの1つの記事のタイトルにすごく考えさせられた。
記事の中味を読むと、この小学5年生の子の判断や行動の素晴らしさ、日頃から困ったときにとるべき行動についてきちんとご家庭での教えがなされていたことの素晴らしさに感心しました。
それとは別に、この記事の最後にも書かれていたのですが、
「辺りは暗く、付近に保護者らしい人は見当たらなかった。通りかかる大人は何もしなかったので自分が何とかしないといけないと思った。人の役に立つことができてよかった」
という本人のコメントに大人として考えさせられずにはいられなかった。そんな場面で何もできない大人がたくさんいるって…。
そのことを否定することは簡単だが、ただ、こうも考えられる。
泣いている小学生の子に声を掛け、手を差し伸べ、どこか(この場合は間違いなく交番になるのだが。)に連れて歩いていたら、その光景を見た別の人が、誘拐などを想像して、不審気に見たり、場合によっては通報されたりすることもあるだろう。もちろん、決して悪いことをしているわけではないのだから、その時点できちんと説明をすれば何も問題はないのだが、そんなことを想像してしまったら、手を差し伸べることに躊躇してしまう大人がいてもおかしくはないのではないか?
実際、友人と一緒に街中で行動しているときにかわいい子どもたちが楽しそうに学校から帰っていたので、何も深いことを考えずに子どもたちに「バイバイ。」って手を振っていたら、「子どもたちに声を掛けている不審者に勘違いされることもあるから気を付けた方がいいですよ。」と言われて、ハッとしたことがあった。
子どもたちは学校で先生から「知らない人に声を掛けられても返事をしたり、ついて行ってはいけません。」と指導されていることを知っていると、うかつに「おはよう。」とか「おかえり。」といったあいさつ程度の声を掛けることすらはばかられてしまう。
そんなことを考えていたら、何もできない大人がたくさんいるってことも、考えようによっては、誤解をされないための自己防衛策だと考えられなくもない。
だからと言って、どちらの行動も肯定するには程遠く、大人として、正しいことを毅然とした態度で行なえることこそが一番大切なことだと思うが、日本という国が、いつからかそんな国になってしまっていることこそ、嘆くべきことであり、考えていかないといけない問題のような気がします。