その記事の書き出しはこういった言葉がつづられていた。
仕事中や会議中に、ついほかのことに気を取られてしまう大きな原因の1つは、同じようなことの繰り返しから来る単調さや退屈さ、惰性感という「不快な感覚」にある。この「不快な感覚」から逃れるために、ほかのことに気を取られる。
わかるわぁ~。笑
仕事中や会議中に限らず、授業中(先生がではなく生徒側で。)もいつもそうだった。大笑
これは東洋経済ONLINEの配信記事。そのタイトルは、
仕事がつまらないと思う人は「見方」を知らない
自分を卑下しているとその通りになってしまう
というもの。
海外での研究がベースということもあり、少し言い回しが哲学的なところ(翻訳の関係かもしれないが…)があったり、専門的な表現があったりはしますが、概ね「なるほどなぁ~。」って思える内容だし、自分でも「それ、やってる!!」って思える内容はそれでよかったんだと背中を教えてもらえる気がするのでちょっとうれしかったりする。
細かい内容に関しては、元記事を読んでみていただければと思いますが、要点は、『見方』を変えることで、つまらないと感じていることを楽しさへと変換しましょ♪♪ってこと。(←ものすごぉ~くざっくりした解釈ですが…苦笑)
でも、それって本当に大事なことだと思うし、自分も常にそれがいろんな場面でも目標でもあります。
そういった意味で改めて考えてみると、自分がこれまでに出会った来て人々の中で「こんな人みたいになりたいな☆」「こんな風に生きられたら楽しいだろうな☆」と感じ、尊敬している人たちすべてに共通する特徴は、みんな「楽しいこと、やりたいことを見つける天才である!!」ということ。それは、楽しいことだけ、やりたいことだけをやっているというわけではなく、やらなければいけない仕事、与えられた役割をきちんとこなしつつ、その中に「楽しさ、やりがい」をちゃんと見つけて、「楽しいこと、やりたいこと」に変えて、生き生きとしてやっているという印象。
もちろん、そのあたりを本人に突っ込んで聞いたことはないので、当の本人の中ではいろんな大変さや葛藤も抱えているのかもしれませんが、少なくとも近くで見ている人間にはそう感じさせてくれています。それすらも一つの才能なんだとも思います。
その事象の中に遊びの要素を見つけたり、自分で遊びの要素を盛り込んだりすること。すなわち、自分が対峙していることへの『見方』を変えて、楽しいことへと変換しましょ♪♪