『知ること』が幸せなのか?
『知らないこと』が幸せなのか?
そんな疑問が頭をよぎるような、とある沖縄に関する一つの記事の中に、こんな言葉が書いてあった。
「広い世界を見せることは残酷だと思っている」
これは、沖縄の高校生が教師から言われた言葉だそうだ。
そして、その記事を読み進めていくと、この言葉を発した教師の思いがこう綴られていた。
「できれば生徒に希望を持たせて頑張らせたい。しかし、夢を抱かせて選択肢を見せるよりも、目の前の現実を乗り越える術を身につけさせることの方が大事なのではないかと思うんだ」
言わんとすることはわかる。わかるけど、わからない。というか、わかりたくない…。
もちろん、地域性の問題であったり、現実的な問題であったりと、個々に抱える問題はいろんな側面を持っているため、すべての問題を一括りにして論じたり、答えを出したりすることは難しい。
しかし、それは、その問題を直接的に捉えた場合であり、間接的であったり、俯瞰的であったりする捉え方の中では、また違った意味を見出してもいいのではないだろうか?
教育は、子どもたちの未来への可能性そのものだと思っている。
だからこそ、子どもたちには広い世界を見せる必要性があるし、その中で、子どもたちが取捨選択することが成長には不可欠だし、子どもたちは取捨選択する権利を持っているんだとも思っている。
そのためにも、子どもたちには知る権利があり、やっぱり大人は子どもたちに広い世界を見せることがその役割だと思うし、『知ること』は幸せなんだと思うので、自分は子どもたちに一つでも多くのことを伝え、少しでも広い世界を見せてあげたい☆