『知ることから始まる』ための『知る』をどうやって伝えるか…

~スラムダンク・安西監督の言葉より~

下手糞の 上級者への 道のりは 己が下手さを 知りて一歩目

『知る』とは、ただ単に知っているということではなく、そのことをきちんと『理解する』と捉えています。

いろんなことに関して、変に、というか妙に自信を持っている子たち。その子たちには、よく「その根拠のない自身はどこから生まれてくる?」って伝えますが、その言葉すら届いているのかどうか…。苦笑

『知る』ことから始まるために、その『知る』を伝えたいわけですが、それがとても難しい。先にも書いたように、こちらには理解しがたい妙な自信を持っているし、闇雲にその自信を打ち砕いてやる気を失わせてしまうことも決して得策ではないし、かと言ってそのまま突き進ませるわけにもいかない。

要は、こちらが相手を納得させられるだけの明確な根拠を打ち出し、相手に『知らせる(理解させる)』ように導かないといけないのですが、特に子どもたちは気持ちが先走ってしまいがちなので、後追いの理屈や言葉でその気持ちを追い越して、ストップをかけ、方向を修正する作業はとても大変です。

でも、やっぱりそこからが新しい始まりの一歩なので、我々の仕事の中でのとても重要役割。

あきらめず、手を変え品を変え、『知ってもらえる(理解してもらえる)』までがんばるしかないのです。

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