自らを灯明として…

先週の放送で、(と言いつつ、遅れていてようやく追いついて観れたところですが…苦笑)、ようやく直虎が動き始め、ドラマ自体も今後の展開に楽しさが増えてきた大河ドラマ『おんな城主 直虎』。

後見役(事実上の領主)となって、政を担い始めたばかりで迷っている直虎に育ての親とも言うべき南渓和尚が与えたアドバイスで、直虎がある決意をする場面。

「己の信じたものを明かりとし、進んでいくしかない。」という南渓和尚のアドバイスに対し、直虎は『自灯明』にございますか?と問い直す。そのアドバイスを受け、一つの大きな決断を下す直虎。

このシーンで知った『自灯明』という言葉がすごく心に残り、少し調べてみた。

自灯明・法灯明

お釈迦様の晩年、弟子たちに語られた言葉であり、最後の教えであると書かれていました。

「自らを灯明とし、自らをたよりとして、他をたよりとせず、法を灯明とし、法をたよりとして、他のものをよりどころとせずにあれ」

意味としては、人の言葉を鵜呑うのみにして頼るのではなく、何が正しいかを、はっきり見定めることのできる自分を確立してゆくことが、大切であること。そして、それが正しいことであると判断するための根拠を物ごとの本当のあり方(=法)根拠をおいて考える。

ということのようです。

まわりに決められたり、流されたりすれば、物事の決定は安易であり、生き方としては楽である。そしてそれは、時として責任転嫁もできるという逃げ道にすらなる。

そうならないためにも、自分の信じたものを明かりとし、そこを目指して進んでいく。さしずめ、暗い海を進む船も、そしてその船の道標となる灯台の明かりといったところでしょうか?

自らを灯明とすることで、自分の進むべき道において、ブレない自分を作る。

また一つ、大事な教えをもらった気がしました。

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