行到水窮處

「いつのまにかたどり着く」

子どもたちはすぐ「なんで」「どうして」と聞きたがって、答えていると調子にのって「だからなんで」「だからどうして」。やがてうるさいわねえと追い返される。あの質問攻めにどこまでもつき合ってみたことありますか。最後に「わかった!」と言わせたことありますか?
せせらぎの音と戯れながら、山の中を気のむくままに歩いていたら水源にたどりついてしまったというこの言葉。リラックスした自由な散歩気分が伝わってきます。
でも、含んでいる意味は、私たちに無心の醍醐味を味わせてくれます。水源を探そうと躍起になって歩いていた時はみつからなかったのに、力が抜けたとたん、ものごとの本質がひょいとつかめてしまうことがあります。
こどもの「なんで」という質問も、言葉で押さえこもうとしているうちは「なんで」が続くもの。体験で納得させてあげませんか。

『行到水窮處』=「ゆきてはいたるみずのきわまるところ」と読むのだそうです。

子どもと接して対応する際に一番必要なことを教えてくれています。というか、子どもに限らず、大人も含めて人との対応時の心構えとでもいうべきことだと思います。

人と関わる上で、相手のことを考えないのは問題外。でも考えすぎるのも問題ありで、すべての人にとっていい形にしようなんて思っていると、身動きが取れなくなってしまいがち。だから本文にもあるように、いろんなことを考えすぎたり、躍起になったりするのではなく、ちょっと肩の力を抜いて人と接したり、物事を決めていくことで難しく感じていたことの答えが意外と簡単に見つかったりするものって感じかな?

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(※肩の力を抜いて、リラックスしたイメージ写真。笑)

なんて言いながら、どちらかというとあまり物事を考えてなさそうに見えて考えすぎてたり、自分が「こうだ!!」と思ったら、なかなかそこから考えを変えることが難しい人間なので、言っている自分が一番できていないことなんですけどね…。おまけに、何かあるとすぐに言葉で押さえこもうとしちゃうタイプなので……。^^;

自分自身が納得できるように、少しずつ肩の力を抜いて、ゆとりをもって本質を見極められるようになりたいな。その方が『The 大人☆』って感じでカッコいいので♪♪(←もう十分、いい歳こいた大人ですけど…苦笑)

-代表者ブログ, 禅の教え

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