廓然無聖

「雲一つない空を想像してください

聖という字は宗教的に価値があることを指します。ちなみに仏教に限らずキリスト教でも聖マリアなどと書き、神の声を聞くことの出来る人を聖人と呼ぶようです。
廓然とはカラッと晴れた雲一つない空のこと。何もないことをもっと強調して、ついには「聖」もないんだよと念を押している言葉が「廓然無聖」です。
この「廓然無聖」という状態が仏教の教えの根本。一番大切なことなのです。
修行は何かを手に入れるのではなく、何もいらない何も持たない状態を得るのです。
「廓然無聖」は仏教の最高の到達点ですから、せめてイメージトレーニング。目をつむって高く青く澄み切った空を想像してください。そこにあなたを悩ますもの、悩ます人、悩ます事が雲のようにポッカリ浮かんできたら、一つずつ消してください。煩悩や自慢や悩みのない心境になる才能は誰にでも備わっています。

『廓然無聖』=「かくねんむしょう」と読むのだそうです。
まだ“オフ”タイム続行中…。
自分自身でうまく消化しきれない自分の頭の中を少しスッキリさせたくて、いつものように他力本願でこの本を開く。
そうやって他力本願で何とかしようとするあたりに、自分自身の弱さを痛感する…。
“煩悩や自慢や悩みのない心境になる才能は誰にでも備わっています。”って言われても、煩悩だらけで悩みをいっぱい抱えているこの人間に、そんな才能が本当にあるのかどうかは大きな疑問です(苦笑)
今この瞬間も、頭の中をいろんなことが駆け巡り、自分で一度出した答えを自分で打ち消してはまた悩むという堂々巡り。
自分の中では、最終的な答えは見えている気がしているんだけど、本当に「これだ!!」って思い切れないのは自分の弱さゆえなのだろう。
いつになったら強い心を持って、本当の答えに辿り着けるのだろう?
雲一つない、あの青空のように澄み切った心に少しでも近付くことができたら…。

-禅の教え

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