「遠くから見ないと見えないもの」
遠く山の上から人の住む山あいの里を眺める。
いつもはあの里の中でくるくると働き、そこが世界のすべてと思っていた。遠くには山が空に向かってそびえているのだと思っていたら、こんな風に私たちのいる里をやさしく包んでくれているんだ。知らなかった、はじめて見る幸せそうな里の風景。
「ふるさとは 遠きにありて思うもの」
自分の家、自分の村、自分の国、自分の仕事、自分の家族、自分の人生。この言葉にあるように高い山の上に身を置かないと、わからないことがあります。自分の周辺を客観視してみると、あらためて気づくことが出てきます。海外に行くと、日本のことがよく見えてくるというのも同じ。日本にしかないもの、日本人が亡くしたもの、世界の中の日本の立場。
たまには遠くから見てみませんか。
『遠観山里色』=「とおくさんりのしきをみる」と読むのだそうです。
ここに書かれている教えは本当によくわかるし、まさにその通りだと思います。
自分が歩いてきた道を振り返ってみたときに、自分に見えなかったもの、気付けなかったもの、知らなかったものなどの本質を離れて見ることでほんの少し見ることができ、そしてそれに気付けたことで変われた自分がいて、今の自分があると思ってます。
ただ…。
自分自身のことがよくわからなくなってしまい、そんな自分自身を客観視しようと思ったときにはどうすればいいのだろうか?
自分の周辺を見るのにそのものとの距離をおくためには、高い山の上に身を置いたり、時には一歩引いたり、自分が下がってみたりすることで距離をおいて見ることができる。
でも、自分自身からは離れることができないので、自分自身との距離の置き方がわからない…。
冷静に自己分析できるほど、人間もできていないので分析するどころか考えれば考えるほどよくわからなくなる……。
自分を遠くから見るにはどうしたらいいんだろう???