まな板の上の鯉

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今日は県立高校一般入試の日。

高校入試組にとって、私立入試、県立自己推薦入試を経て、最後にして最大の試練ともいうべき本番。
朝から、緊張感いっぱいの中で5教科の学力試験に臨んだことでしょう。

昨日の夜、入試前最後の授業に来た子どもたちに、それぞれに気を付けて欲しいことを伝えて送り出しました。
そこまでがこちらが子どもたちにしてあげられることで、そこから先と本番は子どもたち自身のがんばりのみ。

いつも感じることだが、受験前の最後の対応をしてから送り出した後から受験当日は、こちらはまさにまな板の上の鯉。
子どもたち自身に任せ、「もっとできることがあった…。」と感じ、やり残した感を目一杯痛感しながら何もできずにただただ祈るのみ。

実際、受験までに子どもたちにしてあげられることはもっとある。
それを敢えてしていないというかやらない部分が多々ある。

結果が求められる受験への対応においてそれはなぜなの?という疑問が頭を過った方も多いはず。
結果や実績がSelfishの運営そのものに大きく影響することも自分自身よくわかっている。

でもやっぱりやらない。

答えは簡単。
それがSelfishの求める形じゃないから。

単純な話、高校受験であれ、大学受験であれ、そこは子どもたちにとって決してゴールなんかじゃなく単なる通過点であり、場合によってはスタートラインでもある。

受験に合格することをゴールと定めるなら、指導において絶対的な学習量を増やし、学習の効率を追求し、ただ合格できる(点が取れる)ように指導すれば、自ずと結果はついてくる。

もちろん、その際にもまったく子どもたちの成長を考えないわけではないが、そこはやっぱり二の次になり、結果が最優先される。

そうやって結果だけ手に入れた子どもたちが、その先のステージに進んだ時、本当にそのステージで自分磨きを続けていけるだけの力を身に付けているのか?そして最終的に社会という荒波の中に漕ぎ出した時に自分の目標に向けて進めるだけの力を養えているのか?と言えば難しいのではないかと感じる。

受験に向けて、すべてを先生にお膳立てしてもらってそれに乗っかって前に進むような子どもたちに育って欲しくない。

きちんと自分の受験という関門と向き合い、自分で考え、自分で必要性を感じながら取り組み、自分でその時その時に必要な答えを見つけながら一つひとつの階段を登って欲しい。
その一歩一歩が成長であり、その結果がもし自分の望む形でなかったとしても、その過程と結果から得られるものはその後の人生に大きな力をなってくれる。

その部分をすっ飛ばして、ただ結果を出すためだけの指導をした先に結果をという答えがついて来てたとしても、それで満足しているのはまわりの大人だけであり、本人は何もわかっていない。

この考え方ややり方がすべての子どもたちに当てはまるわけではなく、十人の子どもがいればそれぞれに求めるものも、その過程も、やり方も変わってくる。
ただ、その根底に子どもたちが社会に出て自分の足で立って前を向いて進んでいける“生きる力”を身に付けるということを大切にし、それぞれに合った形を見つけながら指導をしなければ、せっかく出会い、指導をするチャンスをもらったことを活かしていることにならない。

そして、その願うべき成長とともに、子どもたちが望む形の結果がついて来れば最高だ。

そんなことを偉そうに言ってみながら、結局それでもなんとか結果を出してあげたいと願う相反する気持ちの狭間で、やり残した感満載のまま過ごす受験当日。

そういった意味で、受験している本人たち以上に緊張しているのかもしれない…。

ともかく、子どもたちがみんな自分の持てる力をすべて出し切って受験を終えてくれていることを祈る。

結果は、来週の今日。

みんなの上にサクラが咲きますように

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