待っているから…

何気にパラパラッとめくっていた中学生の道徳の教科書にこんな詩が載っていました。
待たれているから   宮沢 章二
時には あたたかな目で
時には きびしい目で
ぼくらを一心に待っているものが
はるかな行く手に 高く手をあげている
前途が つねに快晴とは限らない
明るかったり暗かったりするけれど
雨や雪が一年中降りつづくことなどない
一心に待たれているから
ぼくらは 一心に生きることが出来る
一心に歩きつづけることが出来る
歩きながら ふと投げる視線の先
はるかに待っていてくれるものの光が
足元にまで美しくとどいている
―その光を ぼくらは 〈未来〉と呼ぶ

すべての子どもたちには、平等に素晴らしい未来が待っている。
そして、子どもたちはみんなその未来に向かって、夢や希望を持ってまっすぐに進む。
でも、子どもたちの中には、時々そんな未来を見つけられなかったり、見失ったりしてしまう子もいる。
そんなとき…。
未来と一緒に子どもたちを照らし、待ち続ける。
子どもたちに寄り添い、待って、一緒に探してあげる。
それが先生という存在であり、教育の意味なんじゃないかな?って思う。
そして、そんな存在であり続けたいとも思う。
そんなことを思いながら読んだ素敵な詩でした

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