「チャレンジするものだけに」
目の前に立ちはだかった難問の山。目の前に登場した次なる試練。
それを越えれば、その先は経験したこともない素晴らしい境地があるらしいのだけれど。いざその高さを見るとひるみます。そもそも出来るかどうかわからないじゃないか。出来ないかもしれないし。だったら途中で断念して逆さまに落ちてゆくより、ここで我慢していよう。毎日は言い争いと奪い合いの連続で悩みはつきないが、仕方ない…。
そんな時、鯉なら迷わず登ります。だから「鯉のぼり」。
鯉に限らず魚が滝を登ると龍になるという「登竜門」の伝説からきた禅語です。三級とは三段になったみごとに高い滝のことで、黄河の中流、龍門山にある滝です。
高い課題に挑む魚たち。いつまでもよどんだ淵に執着せず、龍となって悟りの境地を得ます。
龍になるチャンスは、どんな魚にもある。あとは魚のやる気次第。
『三級浪高魚化龍』=「さんきゅうなみたかくしてうおりゅうとかす」と読むのだそうです。
自分が何かを得ようと思ったとき、楽して手に入るものは何もなく、そこにはたくさんの障害や苦労は付き物。
そうやって手に入れたものだからこそ、本当の自分の力に成ったり、大切なものとして自分の中に残る。
目の前の難問から逃げることは簡単。というより、人間誰しも出来うることならば楽な道を選びたいと思うのは必定。そうやって歩いていく平坦な道は楽だけどおもしろみがない。
もちろん、それすらどう感じるかは個人差がありますが…。
だからこそ、最終最後にどうするかを決めるのはその人自身だし、その人の“やる気”がそれを決定する。この“やる気”を起こすことは他人の力ではどうにも難しく、それを起こすのもやはりその人自身。
子供たちに勉強を教えていて、子供たちにどうやってこの“やる気”を持ってもらうかが大きな課題。ほんとムズカシイ…。(T_T)
今日も家庭教師でお邪魔していた先の子供とのやりとりの中で、この難しさを痛感しました。
子供たちにとって、勉強は決して楽しいものではない。
勉強がおもしろくて仕方ない、好きでたまらない、なんて子供はほとんど見たことがない。
自分自身もそうだったし、今でもそう思うし…。
“やる気”がないからがんばらない、がんばらないから頭に入らない。
いくら言っても同じことの繰り返し。でも、そこで諦めちゃいけないし、それこそが自分の仕事だと思ってがんばっているもののこっちが根負けしそうになってしまう…。
自分自身の力の無さを痛感します…。
自分自身の未熟さが恨めしいです…。
その先にある『高み』を子供たちに見せてあげたいのに……。
でも、ここで諦めたら自分自身も挑まずに逃げることになる。
絶対、負けん!!