今の朝日新聞に、公立高校の自己推薦入試制度についての記事が出ていました。
朝日新聞のサイトでも見られるので興味がある人はどうぞ。→こちら
この記事の中で一番気になったところは『不合格を体験する生徒が続出。』ということ。
確かに岡山県内の公立高校の自己推薦制度でも、工業や商業の実業系の高校では定員の50%をとるものの、普通科では20%の合格のみ。逆に言えば80%以上の生徒は不合格を経験することになる。
受験に送り出す側の立場の人間としても、普通科を受ける子供たちに対しては「基本的に合格できないものと思って受験しておいで。」と言って送り出すしかない始末。これすら、不合格という結果を受けたときのダメージを少しでも軽減するための苦肉の策でしかない。
受験の機会が増えたということに関しては、受験生にとっては確かに喜ばしいことかもしれない。
それに、個人的な意見としては、受験というものが決して甘いものではなく厳しいものであるということ、ひいては人生はそんなに甘くはないという経験=教訓を得るいい機会だという考えもないわけではない。
でも、やっぱり不合格という結果は、子供たちにとって出来れば避けたいことだし、こちらとしても経験させたくないことであるのも事実。
他にも、必要以上の学力検査を課さないため、自分の特技や能力をしっかり評価してもらうことで、本来の学力レベル以上の学校に合格できる可能性もある。ただそれは諸刃の剣だ。
ワンランク上の学校に入れることは、一つのステータスになり得ると思う。
でもその結果、学力レベルが伴っていない学校に合格することにより入学後に必要以上の負担がかかり、本人を苦しめる結果になりかねない。
事実、スポーツ等の能力で合格し、部活動そのものはいいものの学力的についていくことが出来ず、そのことが原因で結果的に不登校に陥ったり、最悪の場合退学という結果になってしまうこともある。これでは本末転倒だ。
この記事のように、比較的早い段階で対応してくれている都道府県はいい。
でも残念なことにこの中に岡山県の名前は無い…。
子供たちを育てる上で、ある程度の競争意識は必要だと思う。
あくまで“ある程度”であって、必要以上に競争を煽る必要はない。
一人一人の子供たちが、自分の目標と能力に合った環境の中で、その子が持つ本来の力を十分伸ばしてやり、その子の目標や夢を叶えるための力をつけてやることが本来の教育の意味ではないのか?
今の日本は、教育についてもう一度きちんと考え直さなければいけない時期に来ているのではないかと思う。
これ以上子供たちを犠牲にしないために…。
公立高校自己推薦入試制度