地球上の人たちすべてにとって、唯一平等に与えられたものと言われるのが『時間』ですよね。
ここ数日の中で、この『時間』について考えさせられる機会がたくさんありました。
子供たちにとって大嫌いなテスト。(大人も決して好きではないが…)
テストには必ず制限時間があります。
この制限時間の中で、どれだけの問題を解いて、どれだけの点数をとるか?
すなわち自分の力をどれだけ発揮できるかが大きな課題。
「もう少し時間があったら…」と後悔するテストを受けた経験はほとんどと言っていいぐらいみんなあるはず。
時間制限さえなければ、その子本来の力をしっかり発揮できるはずなのに、時間の壁に遮られてしまう。
同じ尺度で人と人を比べようと思ったときには必要なことかもしれないが、一人の人間をきちんと見極めるためにはちょっと邪魔かな…!?
指導をしていても同じこと。
6年間や3年間という限られた時間の中で、みんなが同じ量の学習を同じペースでこなしていくことはハッキリ言って無理。
だって、みんなそれぞれ能力が違い、“自分のペース”というものがあるのだから…。
必要な子にはじっくり時間をかけて、何度も繰り返しながら出来る喜びを教えてあげたい。
どれだけ時間がかかったとしても、その子が出来るようになるということが大切なのだから、長い目で見てあげたい。
指導の現場では、どうしてもいろんな意味での時間の制約があるためなかなか難しいのが現実だが、切にそう願う。
そういう意味では、『時間』と言えどもすべての人に平等でなくていい。
本当に必要な人に必要な『時間』を与えて欲しいものだ。
『時間』