子どもの“問題行動”をどう捉えるか?

学校生活や家庭での日常生活において、いろんな場面でトラブルや子どもたちが怒られる原因につながることの多い“問題行動”。場合によっては、その頻度の多い子は“問題児”という言葉で表現されることもある。私自身、子どもの頃、どちらかと言えば、というより、完全に“問題行動”の多い、“問題児”だったので、今、逆の立場になってみて、その子たちの気持ちや行動の原因、また先生の立場で先生がどんなふうに困っていたかの両方が理解できるようになった。

そんな中で考えみると“問題行動”そのものが、何をもって、何を基準に“問題”とされているかという視点で考えると、その言葉のもつ意味合いも少し変わってくるし、なにより対処法もわかってくる気がする。

そもそも、“問題”とされる定義は、集団行動における子どものイレギュラーな対応のことであり、簡単に言えば、先生の予定通りであったり、想定通りであったりといった枠からはみ出している場合を表していることが多いと考えられる。逆に子どもの立場でいえば、決して、先生を困らせようとしてしているのではなく、その時点での自分の興味関心を言動にしたらそうなっただけぐらいの感じで、悪意がない場合が大半のような気がする。もちろん、中には『注目行動』としてやってしまっている場合や、発達障がいにおける特性の一つとしてその場面に即した行動をすることが苦手でやってしまっている場合、ただ単に自分が楽しいと感じる行動をしている場合なども含まれるだろうから一括りにすることは難しいのだが、言葉としては“問題行動”であったり、“問題児”だったりという形で一括りにされてしまっていることも少なくないと思います。

結局、子どもたちのイレギュラーな行動を“問題行動”だと思ったり、その子ども自身のことを“問題児”だと思ったりするのは、集団行動において、「みんな同じに行動ができてあたり前。」だとか「自分(大人)の思っている通りに動いてくれるのがいい子」といった勝手な大人基準で判断しているからであり、そこを楽しむことができてないから。

それすら楽しむことができるようになると、“問題”は“問題”ではなくなるし、子どもたちとの距離はぐっと縮まるし、いろんな意味で子どもたちも大人たちもストレスが減っていい関係が築けることは間違いないはず。

何事も大人の尺度ではかったり、大人の都合で考えたりして、大人基準で子どもに“問題”なんて言葉をつけちゃうこと自体が“問題”なんだという考え方に至れないことが大人の“問題行動”ですね。笑

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