“スーダラ節”って聞いて、すぐにこのフレーズが頭を人はそれなりの世代。そして、わたしもその世代の一人。笑
『わかっちゃいるけどやめられねぇ』
ある意味、これが人間の本質に近い部分でもあったりするのではないかな?なんて思えるフレーズ。
さてさて、なんの話かというと…。
子どもの成長を願う親の気持ちと行動の話。
保護者の方との面談だったり、学習に関する相談だったりで話をする中で、このフレーズに近い言葉がよく出てきます。
「わかっているんですけど…」
決して、過保護・過干渉といったレベルの話ではなく、保護者にとって、今、目の前にいる子どもがするべきことをきちんとできていないと、それに対して、ついつい手や口を出して、本来は子ども自身がしないといけないことをサポートしたり、代わりをしたりしちゃってしまうことってありますよね。
子ども自身でできるようにしたい思いは強いけど、それができていない今をそのまま放っておくことで、平常点だったり、提出点だったりを取りこぼしてしまうことで最終的な内申点に影響が出てしまうことを恐れて、今の点数を稼ぎにいってしまう。その結果、やってもらっていること、手伝ってもらうことがあたり前のまま成長している子たちにとってはその環境から脱却するチャンスを失っているわけだから、成長できるわけがない。
だから、アドバイスとしてはあたり前のように
「どこかのタイミングで、心を鬼にして突き放さないと成長は望めませんよ。」
と言うようになり、それに対する答えは決まって、
「わかっているんですけど…」
ってなるわけです。
そして、そんなときいつも頭をよぎるのが
『わかっちゃいるけどやめられねぇ』
のフレーズになるって話です。あぁ〜、ここまでの解説長かったぁ〜。笑
そしてこの話の結論は…
結局、何が言いたかったかと言うと、大人ですら
『わかっちゃいるけどやめられねぇ』
なんだから、子どもたちがゲームばかりすることや遊ぶばかりすること、勉強しないことやいろんなことががんばれないことなどなど、それらすべて、子どもたちもきっと変わった方がいいとか、やめた方がいいってのはわかっているはずなんだけど、
『わかっちゃいるけどやめられねぇ』
ってなるのもあたり前っちゃあたり前の話。
だったら、子どもに変われって言うのもなかなか厳しい話になっちゃうから、まずは大人から変わることから始めないと子どもの成長に繋げるのは簡単にできない。子どもが変わり、成長することを願うなら、がんばって本質の部分を乗り越えて大人から始めなきゃ。
『わかっているならやめましょう!!』