6月13日付けの日本経済新聞の配信ニュースにて、首相官邸で行なわれた「人生100年時代構想会議」の中で議論された教育の無償化に関する記事が掲載されていた。
これは「人づくり革命」の一環として政策の一つとして検討されいてるもの。記事によると、その基本構想のうちの一つとして幼児教育・保育に関する無償化は2019年9月から、そして2020年4月から『高等教育の無償化』として「大学の無償化」の実施が盛り込まれている。
今回の『高等教育の無償化』は、以前から実施されている「高校の無償化」のもう一つ上の教育段階を対象としたもの。「高校の無償化」で一律無償化となっているのとは異なり、世帯ごとの収入に応じて行なわれるもので、年収380万円未満の世帯に対して、年収によって支援金額が分かれているようです。詳細については、ネット情報などでご覧ください。
直接関係を受ける子育て家庭の保護者からは概ね評価しているものの、細かい点については賛否両論いろんな意見が出ているようです。
個人的には、こういった形での支援そのものは基本的に賛成です。それによって、本当に必要としている人たちに対して、必要としている教育が受けられる環境が整うことは本当に素晴らしいことだと思います。ただ、大きく2点ほど、気になることもあります。
1つは、その基準が年収によって決められていいのか?という点。
たしかに、非常に明確な基準にはなると思います。しかし、明確であるがゆえに、ボーダー付近のにとって様々な思いが交錯したり、制度的(法的)にあまりよろしくない動きをするご家庭を生み出す原因にも成りかねないという危惧。その点だけを切り出して考えれば、「よくない人づくり」なってしまうのではないか?という穿った見方もないわけではない。
そういった点だけではなく、保護者やご家庭の経済力というものは、たしかに子どもたちの教育にとって重要な要素であることは間違いない。しかし、教育についての取り組みであるからこそ、本人の能力(成績)であったり、各種の活動実績であったり、なによりその教育を受けることに対する思いであったりといった、学ぶ環境への入り口という視点だけではなく、学ぶ環境からの修得という出口に向けての視点をも考慮して対象者を選ぶといった形も盛り込むことで、より教育の本質に近付いた支援が形作られるのではないか?と思うのは私だけではなく、大多数の方がそう思っているはず。
ご意見の中には、
『偏差値60以上、毎年成績を見て、悪かった人は助成中止という条件つけて!』
なんて厳しいものもありましたが、ある意味、正しいご意見だと思います。
もう1つは、『高等教育』において無償化にすること自体が本当にいいのか?という点。
たしかに親の経済力が子どもの教育格差につながってしまっていることは決していいことだとは思わないし、何らかの形で是正をする必要性はあると思うし、それができるのは国としての制度であることは間違いない。しかし、金銭的ハードルを下げることだけが教育格差の是正につながるのか?『初等教育』と同様に『高等教育』においても公平性は必要なのか?といった素朴な疑問は拭い切れない。
どんな消費であれ、サービスに関してであれ、その対価が安いもしくは無料であるということに越したことはない。それは、自分自身、一消費者、一ユーザーとして素直に思うことである。
だが、それによってその物やサービスの質が低下したのであれば、結果的に損をするのは、やはりそれを利用している消費者やユーザーである。ただ、それは提供する側だけの問題によって起こる問題ではなく、その安さや無料といった部分を安易に捉え、「安いから(無料だから)使う」「ダメなら捨てれば(やめれば)いい」といった、利用する側の責任の低さや真剣に利用することの緊張感の無さといったことにもつながっていると考えられる。
教育費を払っているから真剣に学ぶ。
教育費を払っていないから適当に学ぶ。
そんな簡単な図式が成り立つなんて思っていなし、そこまで短絡な話だとも思っていないが、少なからずそこに差が生まれること自体はこれまでの経験の中で垣間見て完全に否定できないとも感じていることである。
多かれ少なかれ、何らかの負担であったり、犠牲であったりを払っている場合の方が、いい結果につながるのではないか?とも思う。そう考えたら、安易に無償化することで、いい結果、ここでいうところの「人づくり」につながるとは思いにくい。
結局、「人づくり」の基盤には、単なる環境の整備に頼るのではなく、求めるレベルに見合った意識レベルの構築が重要課題だと思うんだけどなぁ…。