ちょっと驚きの記事を見ました。
テストで100点取った子を褒めることで、逆に勉強が嫌いになってしまうというリスクがあるというもの。
「えっ!?!?褒めたあげたらいいんじゃないの???」
100点取ったのに褒めたらダメなの!?!?
国立大学教育学部附属小学校の松尾先生のご意見によると、中学生以降の勉強においては高校受験等の結果を求められる関門が待ち受けているため、『点数』という具体的な結果にばかり目が行きがち。そして、具体的な結果が出るということは、具体的な指標で他の子との『比較』がなされるところに、100点を褒めることの問題が隠されているという。
100点を取った子が褒められた瞬間、そうでない子、特に成績が良くなかった子は劣等感を感じ、気持ちが下がるはずです。
ここまで読んだら、
「なんだ、褒めてはいけないというのは、教室においての対応に話だったのかぁ…。」
と安易に考えてしまいましたが、よくよく考えるとそうとばかりは言えません。
ご家庭にて
兄弟姉妹がいる場合はどうでしょう。ご家庭の中で、先の記述のような教室内での状況と同じことが起こることは十分考えられます。場合によっては、教室で友だちとの関係性よりも、ご家庭での兄弟姉妹の関係性の方が、より大きなマイナスの影響を与えてしまうことも考えられます。
「じゃあ、一人っ子の場合は大丈夫?」
なんて素朴な疑問も生じますが、これも決して問題がないとは言えません。
その子がすべてのテストで100点を取ってくるなら問題ないかもしれません。しかし、普通に考えたら、それは不可能ともいうべきこと。
となると、その子自身の中で、できた時とできなかった時での比較が起こります。すなわち、ライバルは自分自身。ある意味、一番手強い相手との泥沼の戦いに突入してしまう可能性があるのです。
なんて大げさな言い方をしていますが、子どもの性格によってはあり得ないとも言えないことだと考えられます。
大事なポイントは声のかけ方
松尾先生のご意見をさらによく読んでみると 、褒めること自体が決して悪いわけではなく、褒め方の問題、すなわち声のかけ方が大事だと書かれていました。
それがわかってちょっと安心。だって、大人でも褒められて嫌な気持ちになる人はいないと思うので 、褒めること自体はいいはずですもんね。
具体的にいうと、褒めるべきポイントは“結果”ではなく“過程”であることが重要だということ。この点については、本ブログでも何度も触れてきている内容なので、読みながら大きく「うん、うん。」と頷けます。
100点という“結果”のみに価値を見出すようになると、それ以外がダメなものという図式が成り立ち、本人の自己評価を下げてしまうようなことにつながりかねません。
そうではなく、100点を取るためにがんばっていたことを褒めてあげることで、賞賛のポイントは“結果”から”過程”へとシフトします。
そして、そこを褒めてあげるようにすれば、例え100点以外の結果であっても、ちゃんと褒めてあげることができるようになります。そうやって必要以上に劣等感を感じることなく、きちんと褒めてもらえていれば、子どもに限らず、大人もがんばる力へとつながるはずです。
常に高い目標設定(100点)を求め続けるという結果至上主義の終わりなき戦いに身を置くと、そこから逃げ出すためには勉強嫌い(勉強をしない)という答えしか導き出されない可能性はあるということを松尾先生はおっしゃっているのです。
現場で実践されている先生や研究者の方々のこういったご意見に触れると、Selfishが大切にしている部分が間違っていないということの再認識につながり、安心します。それこそ、ここまでやってきた“過程”を褒めてもらえているのと同じこと。それがうれしくないわけがありません。
子どもたちに勉強を好きになって欲しいとまでは願いません。
でも、せめて勉強を嫌いにはなって欲しくないと願っています。
それは、お父さんやお母さんも一緒ですよね?