人が行ない、人が判定する。スポーツの世界の難しさ…

高校球児が目指す甲子園。この夏の甲子園を目指して、各都道府県で熱戦が繰り広げられる中、ここ岡山県大会の決勝で少し後味の悪い形で出場校が決まった。

岡山県大会の決勝戦。玉野光南vs創志学園の試合の幕切れをグランドにいた選手たちはどう受け止め、どう処理すればいいのだろう…。

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勝負の世界に絶対はない。だが、審判の判定は絶対だ。

一度は1−0で玉野光南の勝利で幕を閉じかけた試合が、創志学園側の抗議で判定が覆り、再び試合が再開し、そこから逆転劇の末、4−1で創志学園が甲子園への切符をつかみ取った。

勝ったチームも負けたチームも、判定を下した審判団さえもどこかスッキリしない幕切れ。両チームが全力で勝利を目指し、最後まで戦った結果であり、審判団もその責務を真摯に果たした結果であることは間違いないだろうから誰を責めることもできない。だからこそ、負けた玉野光南の選手たちはその悔しさをどこにぶつければよいかわからないだろう。夢の切符を一度はその手中に収めていたのだから…。

人が全力でプレーする。

そして、それを判定するのもまた人である。

だから、時として、そこには予想もつかない結果が訪れることがある。それがスポーツの醍醐味であると同時に難しさでもある。良くも悪くも、それがスポーツなのだ…。

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