“どこ”を卒業したかではなく、“どう”卒業したかが大切

マイナビニュースにベネッセ教育総合研究所が実施した「第5回学習基本調査」の結果が掲載されていた。

対象者は、小学5年生2,601名、中学2年生2,699名、高校2年生4,426名で、主な調査項目は学校の授業以外の1日の学習時間(塾などは含まれる)や授業で好きな学習方法、学校での勉強が将来何に役立つか?など。

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その結果を見てすごく気になったことというか、この記事のタイトルを見て気になり、心配になったことを少々…。

小中高校生とも「いい大学を卒業すると幸せになれる」と考える人が増加

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(※画像出典:マイナビニュース)
すっごく怖い結果だと思いませんか?

たしかに終身雇用が崩壊したり、学歴編重主義ではなくなったりしてますが、それでもやはり保守的な日本では一つの企業に長く勤められることを良しとし、そこに入るためには一定水準以上の学歴が必要であることは否定しがたい事実です。

加えて、高校生や大学生の有効求人倍率も上がってきてはいるものの、就職氷河期に入る前のバブル期のように一人で複数の企業の内定をもらい、その中から気に入った会社を選べていたような時代ではないため、就職内定をとるために学歴が力を発揮してる部分もあるように見えます。

しかし、そんな時代ですら、ある大学の学生が複数の内定をもらっている反面、同じ大学にいても内定が取れなくて就活で走り回っている学生がいます。その違いは何なのか?同じ大学であるという条件から考えると、結局、大学名ではなくて個人の質の問題が大きく左右しているはずです。

力を入れるべきところを間違えては、決して幸せにはなれない(はず…)

つまり、“どこ”を卒業したかではなく、“どう”卒業したか?すなわち、学生時代にどんな経験をし、何を学び、どんな力を身に付け、受け入れようとしているその企業に対して何をもたらしてくれるのか?資本主義社会において利益を追求している企業としては、より有益な資質を持つ個を望んでいるのであって、決してよりいいと呼ばれる大学名だけに可能性を見出して雇用するような愚かなマネはしないだろう。

なぜ高学歴と呼ばれる大学の出身者が優位に立てるのかという問いに対しては、必ず、入学時においてそのハードルをクリアするだけの受験戦争を勝ち抜いた力を評価するのだという。

その考え自体は決して間違っていないと思う。そこに入るために一部の特別な人間を除いて大半の人は、それ相応の犠牲を払い、努力をしてその権利を勝ち取っているのだから…。

ただ、その後の4年間という時間をどう過ごしたかはとても重要なファクターになることもみんなわかっているはずだ。4年間という時間は決して短くなく、その時間を生きた時間として成長に結び付けた人間と、死んだ時間としてただ漠然と過ごした人間の隔たりは相当なものになることは明らかである。

にもかかわらず、小学生、中学生、高校生が『いい大学を卒業する』すなわち『いい大学に入る』ことでより明るい未来が手に入ると本気で思っているとするならば、それはきちんとした教育が現場でなされていないことに他ならない。

いい加減、日本も入り口に負荷をかけて、そこでふるいにかけて優劣を決めるような形ではなく、欧米のように出口に負荷をかけ、きちんと学ばない人間には卒業の資格が得られないようにすべきだと思う。それであれば、本当の意味で“どこ”を卒業したかが意味のあるものになり、子どもたちがそこを目指してもいいのだと思うのだが…。

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