『わかること』も『わからないこと』も難しい…

また少しテレビからのネタを…。

水曜日に放送中のドラマ『偽装の夫婦』。ストーリーそのものより、天海裕希演じるヒロがおもしろい!!ヒロの“心の声(毒づき)”の場面が、映像も含めていいアクセントになっていて笑える。あのシーンを観たくて、このドラマを観ていると言ってもいいぐらい。笑

いつものように放送日から遅れて観た今回の放送。その中で、ヒロが超治にホイットマンの詩集の中の一編の詩をメッセージとして伝えた場面。この詩がなぜか心に残った。

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(ウォルト・ホイットマン)

わたしにも誰にも
あなたに代わって
道を歩くことはできない。

自分の道は
自分で歩く他ないのだ。

たぶん、日頃向き合っている子どもたちに対しての思いとどこかリンクするところがあったのだと思う。お父さんやお母さんの思い、我々の思いをうまく伝えられず、どうすればいいのかを悩み、考えている。その伝えたいことがこの言葉が言い表している気がしたのだ。

ほとんどの子が、勉強は好きではないし、できることならやりたくないと思っている。能力的なこと(障がい特性など)も含めて、理解すること、自分の力にすることが難しい子になるとなおさらだ。

でも、だからと言って、その子の学ぶべきこと、やるべきこと、身に付けておいた方がいいと思われることをお父さんやお母さん、ましてや我々が代わってあげることはできないし、それをしても何の意味もない。その子が将来、社会に出て生きていく上で必要になるであろう様々な力は、その子自身の中に育ってこそ意味のあるもの。そこをわかって欲しいのだが、なかなか伝わらない…。

このことを『わかる(理解する)こと』、そして実際に自分のためと捉えてがんばれるようになることは難しい。

でも、このことを『わからない(理解しない)こと』で身に付けないまま成長し、社会に出ることになると、いろいろな場面で生きていくことが難しい。

どちらにして難しい…。

難しいからとあきらめてしまうことは簡単だが、それでは成長は望めない。

じゃあ、どちらを選ぶべきか?

答えは簡単。後者の難しさを少しでも軽減するために、前者の難しさに向き合い、その力を身に付けてくれると信じて、伝え続けるしかない。

それをするにあたって、場合によっては厳しく対応する必要もあるだろう。そしてそれは、お父さんやお母さんの立場であれ、我々のような立場であれ、結果的に子どもたちに嫌われたり、敬遠されたりすることにつながることもあるだろう。でも、それを怖れていてはいけない。すべては子どもたちの成長のため。

ホイットマンの言葉について調べていたら、こんな言葉にも出会えた。

君が教訓を学んだ相手は
君を賞賛し、親切をほどこし
味方になってくれた
人々だけだったのか?

君を排斥し
論争した人々からも
大切な教訓を
学ばなかったのか?

今は子どもたちにとって厳しいだけの存在かもしれない。だが、子どもたちがいつか成長し、社会に出て自分の力で生きていき、その厳しさの真意をわかってくれるときがきたならば、そのとき初めて、今、この瞬間に真剣に子どもたちに向き合っていることの答えがみつかるだろう。

そして、その経験を必要なものだと感じ、子どもたちがさらに次の世代の子どもたちに継承してくれたとき、自分たちが生きてきた証がそこに刻まれるだろう。

がんばりましょう!!お父さん、お母さん☆

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