学校には学校の思いがある。
家庭には家庭の思いがある。
すべての思いは“子どものため”である。と信じている…。
でも、中にはそうでない人もいる。世間体とか見栄とかプライドとか、子どもには関係ない大人のものさし。保護者には関係ない教師のものさし。それで傷付き、悩んでいる子どもたちがいる。保護者がいる。
見え隠れする子どもたちの様子の変化。
苦悩する保護者からの相談。
それを受けて、第三者的存在である我々ができること、すべきこと。
本来、上の図のような関係が成立するのであれば、第三者として対象(学校)に対して何らかのアプローチを試みることができるが、実際には、何もできない。何らかのアプローチをするには当事者(子どもや保護者)からの手助けなくして何もできない。
でも…。
当事者の力になることはできる。
褒めてあげること。
相談にのってあげること。
励ましてあげること。
寄り添ってあげること。
ずっと一緒に歩み続けること…。
それが第三者の存在意義であり、我々の仕事。
体調が悪くても、教室に来て先生との時間を過ごそうとがんばってくれたMちゃんの姿。
こちらの言葉に耳を傾け、以前よりも明るくなったと感じられるその表情で、「がんばってみます!!」と言ってくださったお母さんの姿。
そんな姿に励まされながら、そんな存在でいられることに喜びを感じ、またがんばる勇気をもらった今日の教室での一コマ。